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広報WEB委員会突撃インタビュー

I:第10回インタビューということで本日は小川大使にお越しいただきました。
インタビューシリーズではチリ在住もしくはチリに関係する日本人の方々で頑張っていらっしゃる方をお招きしてインタビューさせていただいているのですが、今日はテーマにこだわらずチリに関する苦労話、成功話、おもしろかったこと、悲しかったこと、怒ったことなんでもよろしいのでお話いただきますようお願いします。

大使:お招きいただいて私も光栄です。

I:最近チリであった話とか、大使はこちらに長くいらっしゃるので色々な体験談があると思いますが、そうしたことでご披露いただけるものがあればお願いしたいと思います。

大使: 私もチリでの滞在が長くなり、今で4年半ですから、ここに駐在されている方の中では古い方になってしまいました。実際こんなに長くいるとは思わなかったですがね。

私が民間大使という立場でどのように赴任し、どうしてチリに来ることになったのかと申しますと、丁度2001年頃に外務省が民間の大使を起用しようということで、変な話ですが私はたまたま2000年の選挙で落選をして(笑)その後 1年は長野の地元に残っていましたが、その後東京に戻りましてその時に昔の仲間から大使にならないか?という話があって、ありがたくお受けしたわけなんです。 また、“なぜチリか?”といいますと、実は他にもいくつかお話がありましたが、チリは1996年に外務総括政務次官として訪問した際、丁度冬真っ最中の8月だったのですが、飛行場に降りたとたん雪をかぶったアンデスの山々が目の前に現れ、その光景が私のふるさと長野県安曇野のアルプスが雪をかぶっているのとそっくりだったんです。単純な理由で怒られますが、その飛行機を降りた時の第1印象がよかったということから決めました(笑)。また若い頃三菱商事に勤めておりまして、ブラジルのリオに駐在したことがありましたので、南米に対する郷愁というものがありましたね。まあそれ以外にも、その当時のフレイ大統領をはじめ要人とお目にかかる機会がありましたが、非常にてきぱきとしたリズム的で、話の内容も非常に真面目で良い印象を受けたということもありました。

そして地球の反対側なら仕事もそう多くないだろうし、こんな果てまでお客も来ないだろうと思っていたんですね(笑)。 だからチリを選ばせて頂きました。まあ最後は冗談ですが。

I:大使というのは国によって民間出身、外務省出身と決まっているのですか?

大使:それは決まっていません。チリへの民間大使は私が初めてですし、民間大使は世界で約120人いる大使の中で10人いるかいないかです。

一方、チリではまだ半分以上が民間大使というか政治任用なんですね。選挙に落ちた人、運動を一生懸命やった人、大臣経験者はあまりいませんが、次官経験者など各党で割り当てがあるんです。

ここの役人はほとんどが党に属している世界でもめずらしいらしい国です。

例えば大臣がキリスト教民主党だと次官は民主主義のための政党や社会党だったり。

私の知っている人でも女性ですがラゴス政権時代は教育省の高等教育局長で現在駐フランス大使、国防省の空軍担当次官が駐フィンランド大使などになっています。

しかし、最近かわいそうだったのが、キリスト教民主党に仲良くしてた人がいるのですが、駐英大使ということで新聞に辞令がでてたので、お祝いの電話をしたんですよ、そしたらその時は非常に喜んでいましたが、その後その話がすーっと省内を回ってでてきたら、名前が変わっていたらしいんですよね。その相手が前上院議員なので、どこかで横取りしたのではと言われていますが。

I:そんなことがあるんですか?ショックだったでしょう?

大使:それはもちろんショックでかわいそうでしたね。

I:違いますね、システムが。

大使:ぜんぜん違いますね、チリはプロパーがかわいそうなんですよ、そういう機会が少なくなって、でもまあチリは外務省がとても薄着ですから。特に今大使になるくらいの年齢の人が外務省に入る頃はまだまだ今のように国が盛んではなかった時代なので、そんなに新入省員をとらなかったのだとおもいます。しかし今後は政治任命を減らしていくのではないでしょうか?

I:外交官生活においての体験談等何かございますか?

大使:赴任当初にこんなことがありました。サンティアゴに着いてすぐ公邸のボイラーが壊れてしまったのです。ラテンの国だから少なくても1週間はダメだろうと思い、冬で寒かったしその間はホテルにでもいようかと家内と話していたら、翌日なんとそれが修理されたのではなく新しいものに取り替えられたんです。これはびっくりしましたね。南米はアルゼンチンをはじめ色々旅行はしましたが、住んだことはブラジル以外なかったので、ラテンの国ならどこの国でも同じだろうと思っていました

そういうことからチリの生活がスタートしましたが今振り返っても、赴任してすぐの出来事だったので、いい印象が持ってスタートをきれたと思っています。

外交官生活ですが、これも初めての体験で何をどうやったらいいのかまったく知らなかったのですが基本的に私は民間大使として派遣されたので外務省から派遣された外交官の皆さんがおやりになることと同じことをやると、民間として派遣された意味がないので、自分流を貫こうと思いました。だから多分私を迎える方としては当初随分びっくりしたのではないかと思います(笑)。

                  ではここでまず乾杯 サルー

大使:外交官という仕事は初めてですが、大使の仕事の中で一番大事なことはチリの政府とお付き合いをすることや同時にチリに赴任している各国の大使とのお付き合いをすることです。でも“そんなつきあいをなんの為にするんだろうな?”と理屈ぽく考えることもできますが、万が一私が変な付き合い方をすれば“なんだあれは”という印象になるでしょ、イコール日本の評判が悪くなるのです。要するに−各国の大使と情報交換をしながら仲良くつきあっていく−それが仕事なのです。そちらの方は昔私も商社や政治家をやっていたので比較的人付き合いの経験は何十年とありますので問題はありませんが、まあ おつきあいというのはどこの国の人とも同じだなと思いました。

ただ困ったのは、パーティーなどに行くとスペイン語がわからないから仲間はずれになるわけですよ比較的アジアの国の大使はスペイン語がだめという人が多いのですが、ヨーロッパ、北米の人はほとんどスペイン語がペラペラで、みんなスペイン語で話しているので、その輪には入れないんです。私が英語で話し掛けると、もちろん英語で答えてくれるのですが、しばらくするとまたスペイン語に戻り僕だけ横へ置いていかれるということもありました。でもだからといって、アジアの人たちと英語ばかりで話しをしてても輪が広がらないので、ともかくスペイン語を一生懸命やらないといけないなと思い、話はわからないけどラテンアメリカ大使のグループの輪に入ることから始めました。

丁度赴任してすぐくらいに、アニータさんの問題が発生し、ある集まりに行くとその話題であふれているわけです。私がその輪に入ろうといくとみんなすっとだまるんですね。もちろん内容はわからないのですが、話題がそれであったというのは感じました。私が行ったとたんすっと話題が変わりましたからね。

幸か不幸かスペイン語がよくわからないのでその問題を深刻にはとりませんでしたが、ある日懇親会場から出たら突然テレビのインタビューアーがやってきて、ベラベラ私に何か質問するのですがわからないんですよ、そしたら横にいた人がアニータのこといっているからすぐ逃げたほうがよいとか言われてすぐ逃げたこともありました(笑)。

I:大使が行かれるパーティーなどではスポーツの話題などはよくされていますか?

大使:テニスではゴンザレスの話がよくでますが、サッカーは“あーチリはもうダメ”で終りますね

チリ人同士では盛り上がっているのでしょうが国際的に大きな顔ができないというのが本音でしょう

テニスはデビスカップで先日ロシアに負けましたが、2004年ビーニャデルマルで開催されたときチリは日本と対戦したのですが、チリがオリンピックで優勝したすぐ後で日本はサービスゲームで1回もブレークできなかったんですね。

その試合を私も見に行きましたが、行ったら大統領の隣に席がありそこに座って見てたのですが、横でチリのプレーをみて大統領が“わーっ”て喜ぶんですよ、でもその後私の方をちらっとみて“ペルドン”っていうんですよね。(笑)

I:一応気にしてるんですね。(笑)

大使:話がとびましたが、私はスペイン語を上達させるために週2回先生に習うと同時に、ラテンの国の大使から呼ばれる懇親会には極力参加することにしました。もうスペイン語を覚えようと必死でしたね。

でもスペイン語を覚えても、ここでもう1つ困ることは、チリの早口スペイン語なんです。わかりにくいですよねー。

あれはここに来て半年くらいたった頃ですが、当時チリ政府の高官に早口で有名な人がいました。あるパーティーの席上でその人と着任してきたばっかりのペルーの大使と私と3人で話してたのですが、いつものようにチリの高官がペラペラ早口で話しているんです。もちろん私はよくわからなかったので、その人が別の輪に去って行った後でペルーの大使に“何を話してたの?”って聞いたら “俺もわからない”と (笑)。 へーっと思いましたね。

時々他の国の人と話すとゆっくり話してくれていいなと思います。

あと、夜の遅いのは参りますねえ。若い頃は平気だったんですが、なにしろここは遅いでしょ?最初の頃は先ほども言いましたがラテンアメリカの大使の招待には極力行っていたのですが、だいたい開始時間が20時30分。それより早い会はなく、行くと最低1時間はカクテルで話しこみ、最後に来る人が開始から1時間くらい遅れてきその最後の人に合わせてまたしばらく歓談となるので20時半の開始ということで呼ばれていっても、ご飯を食べはじめるのが22時。それから1時間から1時間30分かけて食事をし、ディナーの時などはその後またブランデーなど食後酒を飲んで、公邸に帰ってくると1時すぎているということもしばしばありました。最近は要領を覚えて私は一番最初に帰ることにしたんです。でもその代わり一番に着くと。

でも、こういう会は夜が遅いのも疲れますが、4年半ここにいてもやはりスペイン語での会話が続くとくたびれてしまいますね。昔我々の時代にはこういうのを横飯と呼んだんです。横文字でご飯を食べると。先日もある人の家にご招待されて行ってきました、とても楽しかったのですが、とにかくくたびれましたね。偉い人がいたり、会話がずっとスペイン語だったので。。

あと困るのが結婚式です。初めてチリで結婚式に呼ばれたときに19時30分からミサだというので19時30分丁度に行ったら人もほとんどいなくて、小一時間遅れて花嫁が到着し、やっとミサが始まりました。ミサが終って今度は別の場所で披露宴なのでそちらに移りましたが、やっぱりまた来ないんですよね、花嫁と花婿が。何してるの?って聞いたら写真撮りに行っているとかなんとかで、、、結局食事が始まったのが夜半の12時ごろで、しばらくたったらダンスが始まり、この後どうなるのか心配になり隣にいた人に“何時ごろ終るの?”って聞いたら“まあ4時か5時くらいでしょうね”って・・・。こちらもそんな時間までは困るので“途中で帰ったらいけないのか?”って聞いたら、新郎、新婦とその家族のダンスが終ったら帰ってもいいと。そういうことで昔は2時頃まではいましたが、最近はよっぽど親しい人以外はミサだけ出席して後は失礼しています。

ブラジルも決して夜は早くなかったですが若い頃は平気でしたが、大使の仕事としては、まあ大使なんて若い人はいないから夜はきついですよね。

仕事の方は先ほど申し上げたように地球の反対側だし、それほど忙しくないだろうなと思っていたのですが、2002年7月の赴任に際して4月頃からレクチャーが本省で始まったのですが、その際に担当官から“10月にチリの外務大臣が日本に来られます、通常外務大臣の時は大使が同行されることはないのですが、あなたは素人ですから是非一緒に来てください”“その次は2月に大統領が日本へ来るのでそれは当然ご一緒してもらわなければなりません”“5月にはIPU列国議員同盟の総会がチリであり、国会議員が10名ほど行く予定になっているのでよろしくお願いします”“2004年にはAPECがチリで開催されます”とかぜんぜん暇じゃないんですよね(笑)、イヤーこれは知らなかったと後で思いましたが。。

しかし光栄だったのはいきなり外務大臣とそれに同行する国会議員とお近づきになれたことです。非常に親近感を持ってくれました。また大統領訪日の時は財界の人たちも一緒に行きましたから、その方達とも親しくなり、素人の大使としてはそういう意味では幸運なスタートをきれました。

2004年チリで開催されたAPECの時にはびっくりしたのですが、日本から延べプレスの方も入れて250人くらいきたんですね。総理も来られたしその直前まで外務大臣や経済産業大臣も来られましたが、こちらの大使館員が12,3人ですからそれで全部準備しないといけないんですよ。4月頃から総がかりで7月、8月はそれしか仕事をしてないという感じで、9月になると大使館から全員総理の泊まられるホテルに設置した事務部屋に移ってしまいました。中南米やスペインや本省から70−80名の応援が来ましたが、彼らはスペイン語の達人だけど チリの地理には詳しくないでしょ?だから少し手間がかかるんですよ。ちょっと外務省に行ってくれっていっても場所を説明することから始まったり、その70−80名の人の食事をどうするか?から始まってほとんど館員は連日徹夜でしたね。

暇なのはわたしだけで。なぜなら仕事させてくれないんですよ。(笑)“大使は大使館にいて留守を守ってください”と言われて 私と、私の秘書と、受付の女性とひっそり明りも消えて暗い大使館に待機してました。でもこちらも責任あるので、ホテルに顔を出しに行くでしょう?そしたらみんないやそうな顔をするわけですよ。大使にそんなところに座わられたら仕事できないって感じで。とにかく驚きましたよね。あれだけの仕事をそれこそ大きなトラブルなく終えたのですから。皆さん倒れなければいいなあとそれが一番心配でしたね。

こんな小さな大使館でAPECをやったのはブルネイ以来らしいですが、ブルネイはあまりにも小さすぎて全部東京から担当者が行って開催しましたのが、チリは地球の反対側なのでそういう訳にいかないじゃないですか。だから本当にうれしかったのは終って1週間くらいたった頃、当時の事務次官から電話がかかってきて“本当によくやってくれた。こんなにうまくいったロジスティックはない”とわざわざお電話をいただいたのです。

まあ国際会議というのは大変なんだなあとつくづく思いましたね。私も外務総括政務次官の時に何回か政府を代表して国際会議に出ましたが、手取り足取り色々お世話してもらい、スピーチの原稿を読むくらいで帰ってきたのですが、その間に大変な準備の作業があったんだと外務省職員の苦労を感じました。逆にそういう勉強ができたということもうれしいです。

話が前後しますが、私が来てすぐにオーストラリアの大使で美人なんですが体格のいい女性がいたんです。これをみて思い出したのですが(出てきたシーフードの串刺しを指して)彼女が焼き鳥をつまみながら“小川大使ね、大使の仕事で大切なことは食べることよっ”て言うんです。“へーどうして?”って聞いたらようするに、食べなかったら身体がもたないでしょ、でもやたらに食べる機会が多いから栄養過多で運動不足になることもあるので気をつけないといけないんですよっていう話だったんです。確かにシーズンによって違いますが、多いときは週に2,3回呼んだり呼ばれたりすることがあります。私はアルコールはあまり飲まないのですが、周りの大使も健康には充分気をつけてますよね

I:パーティーに行かれるとおいしいものとかたくさんありますよね?

大使:今たいへんな日本食ブームでしょ?よその国のナショナルデーでもよくお寿司なんかでてくるんですね。そうすると僕の姿を見るとみんな当然お寿司を食べるだろうと思って“食べろ食べろ”って勧めてくるんですが、だいたいいいお寿司じゃないんですね。あるホテルで食べたお寿司のご飯に芯があったので後でマネージャーに“あなたのようなホテルで、なんであんなお寿司を出しているの?”って。まあ芯があるというのを説明するの難しかったのでそのようにクレームしたら、“でも全部きれいになくなりましたよ”って言うんですね。言われてみればそうですね、我々だからそう思うので、よその国の人にとっては、芯があってもおいしく感じるんでしょうね。

だけど すごい人気ですよね日本食は。

I:パーティーにいって寿司がなくならないことないですよね 必ず売り切れでみんなワーって寄って行きますよね。

大使:皆様方からご覧になって大使や大使館の人ってどんなことしているの?というご質問があればしてください。

I:APECの時にたくさんの方が日本から来られたというのは伺っているのですが、ホテルとか食事とかはどうされたのですか?

大使:ホテルはチリ政府からの割り当てなんですよ。最初からこのホテルよって決められていて、日本の場合はホテル・ラディソンでした。

大使:APECの時は本当に小泉さん(元首相)は人気ありましたね。特に女性に。大統領主催の晩餐会では、私の周りには外務大臣夫人や女性が多かったんですが“この晩餐会に本当にMr.KOIZUMIは来るのか?”って私に聞いてくるわけですよ。“来るよって”って答えたら“来たら紹介してくれるか?”って(笑)。すごい人気でしたね。小泉さんと私は歳があまりかわらないので、いささがジェラシーがありますね(笑)

I:人気があるということはいいことですね

大使:イメージ的に日本人っていつも物静かで、何も言わないでというイメージが多いですが、彼の場合はイエス・ノーもはっきりしているし、そういうイメージ的にも随分よかったのではないのでしょうか。日本に対するイメージUPの原因ともなりましたね。

I:一般にチリの政府からみて日本のイメージはどうみえるのでしょうか?

大使:それは非常にいいですよ。真面目で誠実で信用できると。まあ今は中国の方が多くなりましたが、日本はチリにとって貿易量が3番目に多い国ですし、ましてや輸出入の差額からいけば日本がダントツ。アメリカなんかよりも多いので、俗な言い方をしますとチリを一番儲けさせてあげている国なんですよね。

I:それはいえてますね。そうですよね。

大使;それに基本的にアジアの国の中では圧倒的にチリとの歴史が長くて、今年は110年でしょ?次といえば韓国で多分半分くらいですよ。 

年配の方々では日露戦争の時にチリがエスメラルダ号を日本に譲って、それで日露戦争に勝ったというイメージを持っておられるんですよ。確か「和泉」という名前に変えられてバルチック艦隊がどっちから入ってくるかというのを一番最初に見つけたのがこのエスメラルダ号なんです。調べたことがないので100%確信はありませんがそういわれていますね。

チリ政府の中でも日本に対しては好感度が高いですね。

物事には相性というものがあるのですが、小泉さんが2004年のAPECでチリに公式訪問をされた際にラゴス大統領と会談をされたのですが、このお二人は以前にもラゴス首相が日本に行かれた際と前前回のメキシコのカンクンでのAPECでも会っているんです。

2人とも波長が合ったんですね。通常首相が会談する時はお役所の用意した発言応答要領、要するに何を発言してどう答えるかというアンチョコみたいなのをどこの国でも持っており、発言応答通りに話す人も多いんですが、2人はまったく見てないんですよ。一番重要な話はこれとこれ、この部分は少人数の会談の時に話してください。その次拡大会談があるのですが、そこではこれとこれを話してくださいなどとわけてあるんですが、話の内容がアンチョコと全然違うかったわけですよ。一番最初にALMA計画の話が始まり延々とそれが終らず、他のお付きがイライラしちゃって(笑)。日本にとって一番聞きたかったのは、日本の国連安保理常任理事国入りにチリが支持をすることは表明してくれていたのですが、それを公式に言ってもらいたかったのです。チリ側は当然のことながらFTA自由貿易協定についてですよね。もちろん勉強会をしましょうということは事務方間である程度話しあっていましたが、小泉さんがどういう発言振りをするかが聞きたかったのですが、それが全然でてこず、次には算数教育の協力をしましょうみたいに話がとんで。

この話は第2次段階の話だったんですがだから結局FTAの話も国連の話も拡大会合まで持ち越しになってしまったんです。最終的にはラゴス大統領から記者会見で安保理常任理事国入りの支持をしますという発言をしましたというお話がありましたし、また小泉さんからはFTAに関する勉強会をしましょう、ただしこの勉強会は単なる勉強会ではなく次に交渉に移るための前提条件としての勉強会ですとの発言もありました。ただ後半の部分は発言要領にはなかったんです(笑)。 どちらかというと勉強会は交渉に入るということを保証するものではないという書きぶりになってたんですよ、おわかりのように全然別のことを言われたのです。もうEPAも基本合意に達してますから時効ということでいいでしょうが、なんせ両首脳の波長がとてもよくあったということが日本・チリ関係が大きく進展した理由ではないでしょうか。

I:なるほど。そういう裏話なかなか聞けないですよね。

大使:それから大変びっくりしたのはフジモリさんがチリに来られた時ですよね。まあチリに2,3日滞在したらペルーに帰られるのだろうと最初は思っていました。チリではフジモリさんが日本にいたということは知っていますが、日本国籍を持っているということを知っている人はあまりいなかったようなんです。もちろん日本政府からは日本人なので法律に基づいてきっちり処遇してくださいという指示がありました。フジモリさんだからやったわけではなく一日本人として。

しかし、マスコミでは新聞の一面にも“チリ・日本関係危機”なんてでてしまって。ああいうものは放っておくとそうでないのにどんどんそうなりかねないんですね。私も心配しましたが、当時のウォーケル外務大臣からも心配して電話があり、なんとか沈静化しないといけないと。両国の関係は何も悪くないのに新聞でだけは悪い悪いということになって大変でした。その頃いよいよFTAの第1回の公式会合が開かれることに決まったとので、新聞発表をするということが目的で記者会見を開いたら、最初から最後までフジモリさんの話ばかりでした。

その後、はっきりとフジモリさんは日本人であるから基本的人権をチリ政府に守っていただき、日本政府としてチリでの裁判がどうなるかをしっかり見守ることは当然の義務であるとはっきり言ったところ、外務大臣も同じことを言ったので、この問題はすっと沈静化したんです。でも、やっぱり予期せぬことも起こりますね。

I:これからの話題として日智修好110周年に関しては何かありますか?

大使:110周年に関しては両国で色々な行事を計画しているのですが、日本のメインは文化行事ということでチリで劇団四季によるオペラ「マダム・バタフライ」の公演をします。これはTeatro Municipal(サンティアゴ市立劇場)の創立150周年と日智修好110周年記念を同時に兼ねて行なう共同イベントになります。先日日本に行き、劇団四季の浅利慶太さんと話をしたところ、浅利さんご本人がチリに来られるということをおっしゃってました。

その他来月(3月)にはアニメ展・アニメコンクールをやります。日本から専門家に来てもらって最終審査と講演をしてもらう予定です。マダム・バタフライは特定の人が対象になるので、チリでは特に若い人たちに盛んなアニメのイベントを開催して日本の認識を深めてもらいたいと思っております。その他現代デザイン展や日本人会の方々がジャパンフェアを考えておられたり、JETROがEspacio Riescoにて産業技術フェアに参加し、日本の宣伝にも一役かっておりますので、会員の皆様にも是非この機会に日本のものを出展するようにお願いしたいですね。

110周年のこの機会に集中して色々なイベントをやり、日本に対する印象を残すということが非常に大切だと思います。そうなると皆様方のお仕事上でも、取引き先の方に日本というものが頭に入っているのと入っていないのでは、入ってたほうが仕事もしやすいということになると思うんですね。だからそういう意味から、ここでしっかり日本を宣伝したいのです。

また最近は中国が表に出てきて、ビジネスの面では韓国に押されているので、特に日本からの輸出面など巻き返しをこの機会に図り、少しでも助けになればいいなと思っています。 

日本にはチリからモアイ像を持って行き色々な行事をやろうと考えています。またバチェレ大統領の日本訪問が検討されていますのでエスメラルダ号がそれに合わせて寄港し、記念セレモニーを行う予定です。

I:モアイは何体持っていくのですか?

小玉書記官:1体だけですね。なかなか簡単に持ち出せないのです。日本に持っていくのも今サンティアゴにあるもので、国外に持っていく許可がでているものです。

大使:日本はモアイというだけで目の輝きが違ってくるし、モアイを持っていくということは大変なことなのでこの機会にProchileにモアイを飾りながら見本市例えば物産と観光展などをやればどうか?と提案したんですが全然動かないですね。来年とか言ってますが、来年なら意味がないんです。

まずチリとモアイとイースター島を結びつけていない人も多いと思います。チリということでモアイを持っていけばチリ側としても効果があるのではと思いますし、そのついでにチリの売りたいものを展示すればいいんですよ。

チリの売りたい野菜や果物、畜産物などをね。

今大使館が必死で売り込んでいるのがデジタルテレビの方式です。日本は少し出遅れましたがブラジルで決まるのを待っていたんですよね。しかしアメリカやヨーロッパがしっかりテレビ局に手をまわしてチリではもうどちらかに分かれてしまっているんです、日本方式というところはひとつもないです。なので今必死にまきかえそうと総務省から総務審議官が来たりして売り込んでいます。たいていのところはどこの方式でもモニターは売れるんです、日本はそちらが得意なのですが、今後はシステムそのものを売り込んでいくことを考えないといけませんね。

I:そういうことも大使館の仕事なんですね。

大使 そうです。それは国が決めるというかチリ政府が方式を決定しますので、日本は日本政府がそれに対応しています。

I:ブラジルは去年決まったんですか?

大使:去年です。

I:今では日本方式ではなくブラジル方式って言っているようですが(笑)。

大使:私は3月23日から4月1日まで日本に行きます。

I:先日も日本に行かれていましたよね?

大使:先日は日本で会議があって、今回はチリの外務大臣がEPAのサインをしに行きますのでそれについていくんです。

I:お忙しいですね。1週間ということは日本にいらっしゃるのは正味4日だけですね。

大使:日曜日に着いて日曜日に帰ってくるんです。帰ってくるのは日曜日の朝なのでいいですが、日本は午後着くから疲れますね。

I:移動の疲れプラス時差があるのでさすがに若い方でも大変ですよね。

大使:チリの外務大臣も私と同じ歳なのであまり文句は言えませんが、、、

短時間しかいないからついつい欲張っていろんなスケジュールをいれるのでどんどんタイトになっていくんですよ。

I:そういえば大使が日本にご帰国された時に講演された記事が長野日報に載り、それをカマラのWEBに何回かリンクさせていただいたのですが大変アクセス数が増えましたね。毎年お帰りになったとき講演されているのですか?

大使:去年は長野日報主催の講演会だったんですが、今年は友人主催の講演会でしたが長野日報も来てたようです。私はこの4年半で地元で場所を変えて公演していますが、述べ1,000人くらいの人の前でチリの話していますね。私を訪ねて140-50人くらい、本来だったら来ない人が来てくれるので、そいういう意味では他の大使にはない仲間を増やすことが出来ていると思います。

I:さて、そろそろ時間も経ってきまして今日は大使本当に色々なお話を聞かせていただきましてありがとうございました。これから原稿を起こしをしてWEBに掲載しますが、きっと大使のお話ということでたくさんのアクセスをいただけることかと期待しております。

大使:なかなかこのようにお話する機会がないものですから私も光栄です。

カマラの皆様には大使館をご自宅と同じようにご利用いただければと思ってます。また民間企業への協力が外務省の1つの大きなテーマとなっておりますので遠慮なくご相談ください 

 

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