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広報WEB委員会突撃インタビュー第9回

タンゴ歌手 SAYACAさん&SAYACAバンドの皆様

2007年1月24日Valparaisoで開催された第7回世界タンゴ・サミットに出演された日本人タンゴ歌手Sayacaさん、そのバンドとして参加されたピアノの青木菜穂子さん、バンドネオンの北村 聡さん、ベース担当のアルゼンチン人Caludio Cali Canestrariさん。国境を越えた歌声、演奏が多くの人の心をとらえ大盛況となり地元の新聞でも大きくとりあげられました。今回タンゴサミットに参加できた背景には、あるカマラ会員の方の呼びかけもありました。その方のご協力もあり、無事に出演ができたわけですが、そのお礼にと翌日の25日、協力していただいた日本人の方々をご招待しサンチャゴ市内にあるTango Bar “ El Cachafaz” にてタンゴの夕べと題されたお披露目コンサートが開催されました。このコンサートには、ブエノスアイレスからわざわざお越しになった方も含め約50名の方が駆けつけられました。今回WEB委員会では、そんなお忙しいスケジュールの合間をぬって、Sayacaバンドの皆さんに早朝インタビューをさせていただきました。(インタビュー実施 2007年1月26日)

記事の最後にはSAYACAさんのCDプレゼント応募要項のお知らせがあります。 

インタビュアー:我々商工会議所WEB委員会では、チリで頑張っている日本人の方々にインタビューをしてWEBページにてご紹介しています。皆さんは隣国アルゼンチンで頑張られているということですが、苦労話でもなんでもよいので教えていただけせんか?

(空港に行く時間がせまっていた青木さん、北村さんにまずはインタビューしました)

青木:私がブエノスアイレスに初めて行ったのは2002年の8月ですが、実はラッキーなことばかりで、友人にも恵まれていたし、言葉以外はあまり苦労はしていないんですよ。
イ:スペイン語は勉強されていたのですか?

青木:ちょっと家で勉強したくらいで、最初全然通じなかったですね、単語は勉強して覚えていたのですが聞きとれなかったりそういう大変さはありましたが、それは徐々にやっていくしかなかったのでそれは苦労でもなんでもないでしょうね。

I:この4人でいつもユニットを組んでいるのですか?

Sayaca :この4人で組むのは今回が初めてなんです。

I:そうなんですか・・

Sayaca: 4人がどういうつながりかと言いますと、と私は北村聡さんとは彼がデビューした頃タンゴクリスタルという東京のタンゴバンドを通じて知り合って、青木さんは、名前は日本でも知っていましたが、ブエノスアイレスにほぼ同じ時期に着いたということでお友達になり、彼女の初ソロアルバムにも参加しました。ベースのCaliはアルゼンチン人ですが、青木さんがいつも一緒に仕事をしている仲間ということで紹介してもらいました。
今回バルパライソのタンゴサミットに参加しないかと声がかかったときにもちろん1人ではできないので、ミュージシャンを誰にお願いしようか?となった際、仲良くしてもらっている青木さんに連絡をしてピアノの演奏をお願いし、バンドネオンは日本の北村さん、ベースは先ほど言ったように青木さんの紹介でCaliさんにお願いすることになりました。今回このユニットでの企画は始めてなんですが、ほんとみんな団結力が強くバルパライッソではホテルの一部屋を4人でシェアーするくらいだったんですよ。(笑)

I:今回のタンゴサミットまで、アルゼンチンで練習してこられたのですか?

Sayaca: バルパライソで初めて練習しました。レパートリーも少ないし、みんなそれぞれプロなので本番で息もぴったりあいました。

I:話がとんじゃいましたが まずその辺聞きたかったので・・

Sayacaさんは以前チリにいらっしゃったことがあるのですか? 

Sayaca:はい。両親が住んでいましたので住んだことはないですが何回も訪ねて来たことはありました。

I:青木さんや北村さんはチリははじめてですか?

青木:サンチャゴやバルパライソには遊びではちょこちょこ来てました。仕事ではないですね。

北村:私はチリは初めてです。

I:南米は頻繁に?

北村:頻繁ではないですがアルゼンチンへは時々・・日本から逃避したくなったら(笑)バンドネオンの勉強もかねて2-3ヶ月滞在します

I:北村さんはお歳はいくつか聞いていいですか?

北村:27です。

I:じゃあ大学を卒業されてからバンドネオンを始められたのですか??

北村;いや 中退してしまったんです バンドネオンで。。。 (笑)
元々関西に住んでいて関西の大学に進学しました。今はもう状況が変わっていますが、僕がバンドネオンをやりはじめた頃はまだそんなに流行ってなくて、やっている人も少なかったんです。始めたのが19歳の時でしたが、その頃僕は奈良に住んでいて、京都にタンゴのアマチュア団体がありお金さえもっていけば楽器が調達できるという情報をもらって、楽器を買ってやりはじめたのですが、そこはサークルだったので教材もなければ楽譜もないし、自分で半音階やるしかなく何をどうしたらよいのかわからなかったのです。今から考えればCDとか自分の好きな曲をみつけてコピーとかすればよかったのですが、趣味だったんで、1週間に1回磨いて終わりとそれが1年間続きました。でもそれでは上達しないので先生についたのですが。
 

I:教える先生って日本にいるのですか?

北村:小松亮太さんという先生が東京にいらっしゃいます。私はその先生のレッスンに東京まで月1回、日帰りで親にお金を出して貰って行ってたのですが、先生から“悪いけど関西にいるんじゃダメだ、やる気があるんだったら東京へ来い”と言われて、親に相談したところ、親は“どうぞどうぞ”と。。大学の先生にも相談したら、“お前はいつも遅刻してくるし辞めたほうがいいんじゃないの”ってすすめられて。。。(笑)

でも怖いんで休学という形にして東京に出ていったのですが、まあやっているうちに仕事もいただけたりして、結局大学には戻れなくなってしまいました。

I:大学は音大だったのですか?

北村:いえいえ 違います。文学部の中国語学科だったんです。

I:あれ 全然違いますね。 


I:北村さんはそれまでにも色々な楽器をやられていたのですか?

北村:小さい頃はピアノを習っててその後吹奏楽でトロンボーン。それも飽きて高校の時はバンド組んでやったりしてましたが、大学に入学してやっぱり音楽が好きなので何か新しい楽器をやりたいなと思ってた時に見てしまったんですよ バンドネオンを。。

I:どこでですか?

北村:僕がファンだったある吹奏楽で有名なサックス奏者の方がいるんですが、その方のコンサートに行ったときにバンドネオンの奏者の方もいてAstor Piazzollaの曲とかやってたのですが、それが見たことない楽器だったので僕には非常に衝撃的でした。

I:私もブエノスアイレスでタンゴをみたことありますが、タンゴといえば踊りと、やっぱりバンドネオンのイメージもものすごく印象強いですよね。今回生で演奏みせていただいてとても感動したのでどういうきっかけで楽器を始められたのか聞きたかったんですよ。

I:バンドネオンのプロの方って日本に何人くらいいらっしゃるのですか?

北村:う〜ん 10人いないくらいですかね でもやっぱり40、50代のベテランがいないんです
いるとすればもっと上の方か若い小松さんかですね。

I:小松亮太さんというお名前がでていますが、日本ではやはり有名な方なのですか?またその方は皆さんとつながりがあるんでしょうか?

Sayaca:日本のタンゴ業界ではやはり第一人者だと思いますよ

I:青木さんはずっとピアノ一筋ですか?

青木:そうですね小さい頃からやっていたのでその流れで音大に行って、タンゴに行き着きました

I:もともとジャズが専門だったのですか?

青木:いえクラシックです。でもジャスも好きだったのでやってみたいなぐらいで、タンゴの方にはまりました。

I:どうやってブエノスで音楽家の方と知り合えるんですか?

青木:はじめは1人で地道に練習していたのですが、私の先生にニコラス・レドゥスマさんというすばらしいピアニストの方がいまして、その方のレッスンをとれることになって、その人がどんどん広げてくれたんです。市のオーケストラのオーディションを受けたところ受かって、オーケストラに入ったのですがそこで同世代の人がたくさんいたので自然と輪ができました。
ほんと自然な流れですね。

I:我々の世界と違うからいいなと思う反面、日本と南米を往復していらっしゃるなんて大変ですよね?

青木:そんなことないですよ。アルゼンチンに来るのは本当に楽しみにしてて来る前は指折り数えています。

I:年に1回は来られているのですか?

青木:2004年12月にブエノスから日本へ帰った後は、2006年の初めに5ヶ月程いました。そして今回ということですが、様子をみてこれからもブエノスアイレスにはできる限り来たいなと思ってます。

I:時間がおしてしまいましたが青木さん、北村さんどうもありがとうございました。ご活躍お祈りしております

  北村さん、青木さん空港へ出発 SayacaさんとCALIさんに残ってもらいインタビューを続けます

I:では再度Sayacaさんのプロフィールを教えていただけますか?

Sayaca:私は東京で生まれましたが、父が商社マンだったので生後から3歳までニューヨーク、その後直行でペルーに行き7歳半までいて、14歳の時にメキシコシティーに2年間いました。

I:じゃあ7歳半までにスペイン語を覚えられたのですね

Sayaca:ええ でも全部忘れましたよ 

I:そして14歳からメキシコですか じゃあそこでもまたスペイン語ですね。

Sayaca:ええ でもメキシコにいたのは14歳くらいの思春期の頃で色々と難しく、アメリカンスクールに通っていたので、英語がほとんどでしたね。それで日本へ帰ってきて、絵を描いたりしてたのですが、20歳の時にフラメンコを習い始めたのです。最初はフラメンコダンサーになりたかったのですが(笑)、ひょっとしたことで関西のグループが女性の専属歌手を探していたんですね。それがきっかけで歌もまったく勉強したことがなく歌の世界に入りました。26のときでしたが、まったく歌の“う”の字も勉強したことなくて、先ほども言いましたがアストロリコというグループの方から声質が気に入ったということで、最初から仕事としてスカウトされたのです。趣味とかそういうのでもなく、何も歌ったことなくいきなり歌手にならないか?と言われたんですよ。
声がかかってすぐモンテビデオであった世界タンゴサミットに出場してくださいということになって、京都で人前で3回くらい歌ったくらいだったんですがいきなりウルグアイへ行きました。だからとんでもないです。無鉄砲というか・・・・(笑)

でも一時期タンゴを離れて、はとこがジャズピアニストなのでその関係でジャズを唄ったりもしてましたがやっぱりタンゴが好きだったんですね。父親が大のタンゴファンで小さい頃から聞いていてそれがしみついているということもありましたが、やっぱりラテンが好きということでタンゴに戻りました。

I:ブエノスアイレスには住まれたことはなかったんですよね?

Sayaca:そうなんです。チリには両親が住んでいたので何度も来てたのですが、ブエノスには行ったことはなかったですね。 でも唄い始めてからは必ず行きたいと思っていましたので、お金をためて2002年に1年だけの計画で行ったのですが、もうかれこれ4年にもなりましたし(笑)今後は住んで行きたいと思っています。

Sayaca:さきほども申し上げた小松亮太さんの話に戻りますが、彼の偉大なところはバンドネオンを独学で勉強し、若い新しい感覚で、Astor Piazzollaの作品などをアレンジしながらとりあげてきた方で、彼がそういう新しいことを始めたお陰で、北村聡さんとか早川純さんとか他に若手のバンドネオンプレーヤーの方が続々と現れたんです。それまではある世代だけがポッカリあいててタンゴのミュージシャンという存在事態ががいなかったんですね。タンゴ界においては貴重なことというか、ミュージシャンがいなかったら文化って死んじゃうので彼が行なったことというのは本当に大切だったんですよね。

I:タンゴ本場のアルゼンチンで東洋人や日本人のタンゴってどういう評価されているのでしょうか?

Sayaca :それは後でCaliに聞いて頂きたいのですが、私達は2007年に生きてますし、だんだん世界が小さくなっているのにもかかわらず、やはり偏見というのはあるんですよ。
タンゴは“ブエノスアイレスで生まれたからブエノスアイレスで生まれ育ったものが一番知っているんだ”という彼らの誇りというものもありますし、“外国人には無理だ”という昔の考え方もあるのですが、今はどんどん変わってきているのでもっとタンゴ自体がインターナショナルになっているし、グロバリーゼーションの影響か今は世界中で色んな人たちがタンゴに取り組んでいます。

偶然私たちも世界タンゴサミットの時にデンマーク人のグループと一緒にインタビューを受けたのですが、その時におもしろかったのが、彼らも私たちと同じことを言ってたのです。

タンゴの詩とか歌詞は“Puro sentimiento”というかすべて感情なんです。 例えば自分の恋人が去ってしまい泣いているとかめぐりあいとか、世界共通で共有できるんです。私が思うにはこれからどんどん世界との距離が小さくなり共有するというのがテーマになってくると思います。タンゴは充分共有できるリッチさも持っていますし、アートとしても深いです。そして歌詞も共有できるからこそデンマーク人達が私たちと同じことを言ったのだと思いますが。。 そういった意味で国境がないというか歳とか国籍とかそういうことではなくて、どれくらいタンゴというものを内面で消化してだすかというのは、アーチスト次第なんですね。 

例えばタンゴといえば伝統的に“わーっ”という歌い方をする人が多いのですが、私の歌い方はそのような大げさなタンゴ独特の歌い方ではないんです。というか、そういう歌い方はしたくないんですね。なぜなら自分がそういう人間じゃないし、自分には嘘をつけないので・・・  

私はどちらかというとジャズも歌っているので囁くというか、自分のフィルターを通した時にでてくる物しか表現しないんです。確かにいろんな意見もあると思いますが、アルゼンチンでは逆にその静けさを評価し、“その部分を変えるな”と言う方もいらっしゃいます。北村さんのバンドネオンの弾き方も誇張した激しい弾き方ではないですよね

I;確かにそうでしたね 静かな弾き方でしたよね 

Sayaca:でも静けさの中にあるリッチさ、繊細さというのを感じてくれる人がブエノスアイレスだけでなく世界中に必ずいるんですよ、感性や繊細さをキャッチするアンテナを持っている人達が。だから私たちはスタイルを変えずにやっていきたいなと思っています。
ただ ショーとしては場所とかの関係で派手なものを要求されることもあるので、そういう時はそういうものを提供しますが、私個人のアーチストとしての表現の仕方としては私の出した今回のCDが私の形です。

I:話変わりますが日本人というのはアルゼンチンではどういう見かたをされているのですか?

Sayaca: これはCALIに聞いてみましょう。

CALI: 一般的にですか?ミュージシャンとしてですか?

I: 両方お願いします。

CALI:一般的にアルゼンチンでは日本人はとても誠実で礼儀の正しい人種とみられています。日々の生活の中で、日本人、日系人がトラブルを起すということは非常にまれなことですね。

しかし軍事政権の時代には他の国の人と同じく、確か33人もの日系人の方が行方不明になったということも聞いています

先ほど青木さんもアルゼンチンでは苦労ないといってましたよね。アルゼンチン人はとても親日家で日本人を尊敬してくれているというか、1920年頃始めてアルゼンチンに渡った日系の方々がこれまでずっと正しい行いをしていたというか、真面目なんですよね生活していても。まったく犯罪も起したことないし、その方達がそれを続けてきたから、2000年代になって初めて私たちがアルゼンチンに渡っても受け入れて貰っているんです。

日本の近隣国の人たちとはまったく違うんですね。ポルテーニョ(ブエノス)の人達はそれをきっちり分けるので、青木さんも苦労ないと言いましたが、わたしもまったくなく逆にすごく受け入れてくれるという感じです。

I:日本人とアルゼンチンのユニットということですが、中国人や韓国人でタンゴをやっている人いますか?

CALI:ありましたね。在ア韓国人のトリオグループで名前がOrientangoと確か言ったと思いますが、とても上手なグループでしたが、日本人のミュージシャンのようには発展はしませんでした。

日本とタンゴはとても関連性がありますから、最近は特に若いミュージシャンがSatoshi(北村さん)やNaoko(青木さん)のように日本からレッスンを受けにきます。

私もSatoshiやNaokoのような若い日本のミュージシャンの演奏を聞く機会がありますが彼らの演奏は、“NO TANGO DE ARGENTINA , TANGO JAPONES”なんです。でもとても興味深いし本当にすばらしい。TANGOだけど、アルゼンチンでやっているようなTANGOじゃないんです。それがいいんですよ。。 よその国の音楽をよその国の美的感覚を取り入れ演奏する。

しかし、観光客は、タンゴは40年代や50年代のタンゴ黄金時代のオーケストラのようなう形でないとだめだ、それを変えたらだめといいます。 以前我々の間で話したこともあるのですが、例えば音楽やアートは一度取り出したものはそのまま戻すのではなく、戻す際には取り出した側の要素が加わっていないといけません

バルパライッソでの、彼らの音楽は伝統的なタンゴなのですが、その中に日本の要素が加わっているのを見ました。それはSayacaやNaokoにも伝えました。

例えば私は黒澤の映画を見るの大好きなんですが、特に俳優がひざまついて沈静を保つ場面がとてもドラマティックに思えます。 

Sayaca: そうなんです。究極のエッセンスというか、自分の持っている部分はあまり動かなくてもでてくるというか。。彼とはバルパライソで一緒に競演したのですが、私もステージをグルグル回わったり、手を大げさにあげたりするタイプではないし、どちらかというと内面からそのよさを出すタイプなので、そのことから彼は日本の要素ををみたと言ったようです。 

タンゴというとやはりアクロバチック。今はそういう商売がうけるんですよ。ダンスにしても女性を上に放り投げたり、足を大げさ

に上げたり、見ている方とすれば確かにわかりやすいんですよね動きが派手だから。別に動かないものがいいといっているわけではないんですが、そんなに動かなくてもでてくるものはでてくるんですね。ミロンガでも、すばらしいダンサーはそんな動かないんですよ、でもその踊りをみると“さーっ”と鳥肌が立つというかそういうよさがあるのですね。

私たち日本人はラテンの方にくらべると“わーっ”という感情を出さないじゃないですか、だからそれを逆にやるとおかしいですよね、本当に我々自身がそういう人種じゃないんですから。。。彼には“嘘をつくなそのまま自分達の持っているエッセンスをできるだけ忠実にだしていけばいい”と言われます。結局それが今のブエノスアイレスで受け入れられているというか、そういう土壌があるんですよね。 そういうのおもしろいと思います。

CALI:タンゴというものは20世紀の始め頃、それなりの階級の人にはまったく受け入れられませんでした。なぜならタンゴはこのように踊るのです。(Sayacaさんを相手にデモストレーション)男性と女性がピッタリくっついて、この男性の手で女性を男性の思うように動かすのでタンゴは下賎なものと見られていたのです。

I:今は?

CALI: 歌が取り入れられた30年代頃には少しづつ受け入れられるようになりました。もちろん昔からタンゴには歌詞もついていましたが、現実を非難すような内容のものが多かったのです。しかしその後Gardelの出現で、歌詞ももっとやさしいものとなり、一般にも受け入れられるようになりました。
このようにタンゴ自身が偏見の犠牲となっていたので、今アルゼンチンで日本人や他の国の人たちがタンゴを演奏していることに偏見を持つなんてことはおかしいのです。 

SAYACA:今は本当に変わってきていますが、南米は階級社会なのでタンゴにはもともとすごい偏見があったので下にみられていたアートなんですよね。わたしなんて日本人でタンゴをやっていますが、あの子は外国人だという扱いだけですが、一昔前までタンゴのミュージシャンと言えば下だったんですね。でも今は新しいミュージシャンもでてきて変わってきていますが。だからジャズミユージシャンと一緒ですよね、タンゴミュージシャンというとお金がなくてボヘミオでお酒とドラックというイメージが昔はあったんです。

タンゴにはすでに国境がなく、全世界のものとなりつつあるようにタンゴも変わってきているのです。

I:なるほど、今度ブエノスアイレスにタンゴを見に行くと違う見方になるかもしれませんね

Sayaca:もちろんツーリスト向けのものもそれぞれ楽しいと思いますが、地元の人がいくような渋めな所もあるので、また行ってみてください。 でもまあ音楽は趣味なので自分が好きか嫌いかなのでなんともいえませんが。。 

I:昨日のお店(TANGO BAR EL CACHAFAZ)あの通り(Guardia Vieja)にも昔はタンゴバーが何件かあったらしいですが、今はサンチャゴに1件しかないですよね?チリでタンゴというのはどうですか?チリ人はあまりタンゴに興味ないのではと思いますが。。

CALI:ある時代にはサンチャゴにも結構ありましたが、私が思うにアルゼンチンに1ペソ1ドルの時代がきたとき、タンゴはブエノスアイレスに観光ブームをもたらせ観光客がたくさん来るようになって、チリでやってたミュージシャンがブエノスで仕事する方が儲かるのでブエノスに帰ってしまったようです。

Sayaca;踊る方はチリにもいると聞いていますよ

CALI:踊る方はもっとポピュラーですよねというか見た目ですぐわかるので

以前タンゴ楽団のプロモーションでヨーロッパの国々に遠征にいったことがあるのですが、そのプロモーションのパンフレットに“Tango es una danza”と書かれてました。それって疑問ですよね?なぜなら音楽なしでは踊りはできないのです、SatoshiがやっているバンドネオンやNaokoのピアノもあそこまでなるにはとても難しいのです。それとは逆に踊る方は楽器を弾くよりももっと簡単に成果がだせるので習いやすいのです。 ブエノスにもタンゴダンサー育成学校がたくさんあります。

I:タンゴは聴くというより、確かに踊りのほうが目立ちますよね 

Sayaca:歌となるともっとさがりますね。タンゴの歌って何かイメージされますか?ないですよね

I:それ聞こか聞かまいかまよってたんですが。

Sayaca: ブエノスのショーに行くと初めて歌がでてきて,目がいくじゃないですか。でもタンゴといえば踊りからイメージがはいってしまいますよね。

私が何をしたかったかといいますと、ちょっと自分のCDの話をさせて頂くと、もちろんタンゴファンという方もいらっしゃいますが、タンゴを今まで聞いたことのない特に私と同じくらい若い25歳から45歳くらいの女性にもっと聞いてもらいたいのです。なぜかというと、女性、特に都会の女性って仕事で疲れているんだけどいつも何か探している、そういう女性達に少しでもタンゴというものを知ってもらいたい、という気持ちがあったんです。今回のCDはそういう女性のファンをつかむことを設定して作ったので、アレンジもモダンに、今までのタンゴタンゴという形ではなく、ピアノもジャズピアニストであるDiego Schissiにお願いして、できるだけ女性にはいりやすい、タンゴを聞いたことのない人にもっととっつきやすいというか近づきやすい形にしたかったんですね。だから詩も訳付きにしましたし・・

前回日本に一時帰国した際にコンサートをしたのですが、タンゴを聞いたことのない人達が“聞きやすかった”“ああ タンゴってこんなのもあったんだ”とおっしゃって下さった方々がいらして、うれしかったですね。特にCDの1曲目の “CADA VEZ QUE ME RECUERDES”は、本当は非常にタンゴタンゴした曲なんですが、わざとくずして全然違うようにアレンジしました。

タンゴタンゴした曲をくずすというのを十分承知の上でしたが、とにかく距離を縮めたいというか1人でも多く タンゴを聞いたことのない人に聞いて貰いたいというのが、今回私がCDを作った目的だったんですね。だから、CDのジャケットも女性を意識した形で作りましたし、後で是非コメントをいただきたいのですね。

I:タンゴもきっとはまる人がいるんではないでしょうか?

Sayaca:そうだといいですね。なんでもきっかけが大切ですよね。 私は自分が自分がということではなく、あくまでも架け橋になりたいのです。私はもともと帰国子女なのでラテンが好きですが、もちろん日本人であるアイデンティティーも失いたくないですし、今後ブエノスに住むことにしましたが、日本とアルゼンチンを行ったり来たりすることによって日本の良さもまた日本に戻したいと思いますね。外にいるとわかる日本のよさってあるじゃないですか?逆に悪い所もみえますが。。自分を売り出すというわけではなく、そういうことをタンゴというものを通して発信したいのですね。 戦後、日本はアメリカの影響をすごく受けましたよね。一時帰国するために思うのですが、今もなお日本はあまりにも西洋、特にアメリカの影響受けすぎていると。

その一方、アルゼンチンは反米が強いのでそれが逆におもしろいというか、テクノロジーのレベルも日本に比べると高くないので、その反面 それだからこそ感情面が残っているというか文化的にも正反対というか。そこがおもしろいんですね。

またアルゼンチン人が日本から学べることというと勤勉さ、日本人が学ぶことはもっとリラックスするというか、もっと感情面を大切にするというか。。私はその真中にいながら両方を高めたいし、せっかくタンゴというものに会ったのだからそれを媒体として使って お互いの持っている文化的なものを日本人ならではのエッセンスをタンゴに出したいのです。アルゼンチン人はアルゼンチン人ですばらしいものあるし、文化的な交流、リッチさを高めていくきっかけになればなと思っています

I:ますますアピールしたくなるような。。 Sayacaさんの話を聞いているとタンゴの見かたが変わりますね 

日本人として商工会議所の1委員会としてインタビューをさせてもらっているのですが そういう風に頑張って信念、アピールしてくれる方に会って話すとすごく関心というか何かやらないといけないかなという気持ちにさせてもらいます

Sayaca:話が変わりますが、今回日本に帰って思ったのが、いじめの問題だとか自殺の問題だとかが多くて、それって心の問題だと思うんですね。今の子供達が日本の未来をどうにかしないといけないんですよ、それで何が必要かというと教育とやっぱりアートだと思うんですね。 例えば私たちが昨日演奏しましたが、そいういうことが何かきっかけになればよいというか。。

自殺したり、そこまで追い詰められている子供達がいるというのは大きな社会問題だと思いますし、それぞれ取り組み方もあると思いますが、私はタンゴという媒体を持って海外に住んでいるという立場から発信していきたいものがあるんです。“それはおかしい、命ってそんなに簡単に扱っちゃいけない”と。

私の場合はたまたまブエノスアイレスが好きで、たまたまタンゴということですが、人間一人一人その人しかできないものがあるので、それをピュアにしてつきつめていく。日本はやはり村社会なので、みんな同じでないといけないんですね。飛び出ると叩かれいじめられる。だから個性が育たない。違ったら叩かれるとなれば個性って伸びないですよね。そこで我々アーティストは“そうじゃない”ということを言いたいのです。みんなそれぞれ違うわけですし、それぞれの花を咲かせるのが一番素敵なことというか幸せにつながることと思うんですね。個人個人が幸せなら人を殺すなんて思わないし、そういう感情にはならないでしょう?アルゼンチンがいいなと思う部分は、いい意味での個人主義? 人生を楽しむというか、経済状況も悪いし、切ないときもあるけど、今持っているもので楽しむというか、今の状況でよしとして精一杯エンジョイするというのは彼らは知っているんですよね。日本の場合はお金があって豊かですが、心がぽっかりあいてしまっていることもありますよね?日本は日本で高く評価されていると思いますが、子供達の命がたやすく失われているのは大きな問題だと思います。 アルゼンチンと日本、チリやフランス どこでもいいのですがもっとポジティブなエネルギーをだしていきたい。それがわたしたちのミッションかなと考えてます。

I:なるほど。 我々はチリで働いていますが、隣の国のアルゼンチンに関する気持ちも変わってくるし、日本に対してどういうものを発信していきたいかというSAYACAさんの思いも共感できます。少なくとも今回このインタビューで我々が感じたことを、 WEBを通して他の方にも見て貰いたいな、少しながらですがSayacaさんのミッションにご協力できるかなと期待しております。

Sayaca:ありがとうございます。メッセージはどんどん発信していかないといけないので、今回はインタビューしていただきうれしくおもっております。ありがとうございます。

去年1年はCDの録音に集中していたのですが、epsaというアルゼンチンのレコード会社が気に入ってくれてそこから発売してます。彼らとしても今後CDを売っていきたいので、HPにも私の情報がのっていますし、ライブなどを企画したりもしています。今回のCDに参加してくれたDiego Schissiという人と日本でのツアーも4月、5月に考えています。

9月にまだわかりませんが、ペルーでフェスティバルがあるので、今のグループで出演を考えているのですが、ここから近いのでまたよろしかったら。

I:じゃあこれから盛りだくさんですね。私は頻繁にリマに行きますので 是非また聴いてみたいです。

今日はタンゴとか音楽とか歌とかそういう話が聞けるのかなと思ったら 人生観やそういう話までつながってすごく楽しかったです。また是非チリに来てくださいね。

Sayaca:もちろん戻ってきたいですね これからも頑張りますのでよろしくお願いします


Sayacaさんのプロフィール

(タンゴ歌手)

東京生まれ。‘94年上智大学比較文化学部卒業(哲学専攻)。幼児期より、ニューヨーク、リマ(ペルー)、メキシコシティで過ごし、‘02年よりブエノスアイレス(アルゼンチン)在住。

‘96年、タンゴグループ ‘アストロリコ’にスカウトされ歌手デビュー。同年9月ウルグアイで行われた‘第3回世界タンゴサミット’及び南米4カ国に渡るツアーに参加後、全国各地でライブ活動を開始。

‘99年より、‘小松真知子とタンゴクリスタル’(バンドネオン奏者、小松亮太の両親が主宰)との活動を開始。以降、全国各地のライブハウスに出演。‘にっぽん丸’世界一周クルーズ(商船三井客船)に同乗しての演奏活動も始め、毎年恒例となる。

‘02年、タンゴに本格的に取り組むため、ブエノスアイレスへ移住。ピアソラの元夫人アメリタ・バルタールをはじめとする著名アーティストに師事し、歌唱法や詞の読解を学ぶ。

‘04年の‘第6回ブエノスアイレスタンゴフェスティバル’及び‘05年の‘第1回世界タンゴフェスティバル’(アルゼンチン、サンルイス)に出演。

‘06年10月に、ブエノスアイレスにて初のソロアルバム、’Cada vez que me recuerdes’を、ディエゴ・スキーシー(ピアノ)をはじめとするアルゼンチン実力派ミュージシャン達を迎えて制作し、アルゼンチンのタンゴレーベル最大手’EPSA music’(エプサ・ミュージック)と契約。発売後、現地の各メディアで話題となる。

‘07年、’第7回世界タンゴサミット’(チリ、バルパライソ)、‘第9回ブエノスアイレスタンゴフェスティバル’に出演。

 
Camara Chileno Japonesa
ギャラリー