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広報WEB委員会突撃インタビュー

今回は、2005年8月から1年間の予定でチリ大学へ研究に来られていました九州産業大学 経済学部教授で経済学博士の
岡本 哲史先生に帰国直前 インタビューすることができました。
先生は主にチリの経済史を研究されており、著書には『衰退のレギュラシオン チリ経済の開発と衰退化1830-1914年』があり、この本は日本人がチリについて書いた日本発の単著となりました。
日本のチリ経済史研究の第1人者ともいえる先生のお話は、チリ在住のインタビュアーにとっては非常に興味があり、色々な質問を投げかける中あっというまに時間がすぎてしまいましたが、今回は主に日本とチリの違いなどを納得いくようにご説明していただいた部分をご紹介いたします。

インタビュアー:今回チリには1年間の予定でいらっしゃったということですが、どこで研究をされていたのですか?

岡本教授:実はチリに長期滞在するのは2回目でして、1回目は1998年、カトリカ大学の歴史研究所(Instituto de Historia)とい うところに、レネ・ミジャール(Rene Millar) さんというチリ経済史の先生がおられるのですが、その先生の元に1年間お世話になりました。
他方、今回の留学は、チリ大学のパトリシオ・メレル(Patrcio Meller)先生という、多くの業績のある高名な経済学者(現在、コデルコの理事も勤めてらっしゃいます)のもとで昨年の8月より1年間お世話になっています。
残念ながら私の留学期間はもうすぐ終わり、来週日本へ帰りますが。

I:実はインタビューをさせていただくというので簡単に先生のことをお調べしたら、チリに関する文献とか書かれていますよね?元々チリとご縁があったとか?

教授:いえ。別に親戚がチリにいる訳でもないですし(笑)、元々ラテンアメリカにはなんの縁もなかったのです。私は学部時代にはアジアの発展途上国の研究をやってまして、その後大学院に入った時に再度研究テーマを決めないといけなかったのですが、その際に途上国の開発経済や経済発展論でやる場合フィールドを選ばないといけなかったんですね。アジアを選ぶかそれ以外の地域を選ぶか。そこでまあ、アジアはみんなやっているので、あまりやられていないラテンアメリカ研究でもやろうかな?と選んだのがきっかけでした。

しかし、僕らより上の世代の人たちはラテンアメリカ経済論というのを大きなテーマで研究することがまだ許される時代だったのですが、僕らの時代になると、さすがに国ごとに特化していかないと通用しない時代になったので、ラテンアメリカの中から国を選ばないといけなくなってしまい「どこにしようかな??」・・・と考えたすえ、やっている人も少ないからということでチリを選んだのです。

I:その当時はチリを研究している人ってまだ少なかったのですか?

教授:少なかったですね。ほとんどメキシコ、ブラジル、アルゼンチンでしたね

I:今はかなり増えたんじゃないですか?

教授:そうですね。若い人でチリ研究をしている人がかなり増えてきました。

I:ラテン・アメリカの国々に興味を持たれてということですが、チリ以外の国でもどこか行かれたことありますか?

教授:1989年に、初めてメキシコのグアダラハラ大学に1年間留学したのがラテン・アメリカとの縁ですね。
日墨交流計画というのがあったのですが、この制度は1970年代、メキシコにエチェベリア大統領という親日的な大統領がおりまして、その大統領が提案して生まれた交換留学プログラムです。このプログラムでメキシコへ行ったのが、ラテン・アメリカとの最初の出会いでした。

I:その制度は毎年あるのですか?メキシコからも日本へ行っているのですか?

教授:そうです。1970年代から30年以上続いています。メキシコからも日本に来てると思いますよ。我々のお金はメキシコの外務省がだして、メキシコ人のは日本の外務省が出してるのではないでしょうか? 今、南米研究をやられている方の中にはわりと日墨交流計画に参加した人が多いんですよ。

I: そうなんですか 逆に制度がそれしかないということもあるのではないですか?

教授:それもあるでしょうね。そういう制度化された留学というのは、スペイン語圏ではあまりありませんから。日墨交流の参加者は学生だけじゃなく僕たちの頃は、学生が10名程度、社会人も15名程度が1グループになっていました。 社会人の方は企業から派遣されている方が半分、残りの半分は省庁、特に外務省や当時の通産省、建設省の方などでしたね。そこで研修して1年たったら帰ると。1年ですから別に学位を取るようなプログラムもないですし、ラテンアメリカを研究する人にとっては語学を勉強するにちょうどいい制度でしたね。この留学期間中に、チリにはじめて旅行しました。チリとの出会いはそこからなんです。

I: 旅行でも来られていたんですね?

教授: そうです。1995年にも3週間ほどチリ国内をいろいろ回りました。

I:例えば、メキシコとか中南米方面のことをやっていこうとすると、ある程度こちらの言葉(スペイン語)も読んでいかないといけないのではないですか? そういうのは学校で勉強されていたのですか?

教授:私は東北大学出身なのですが、東北大には当時、教養部というのがあり、語学教育はそこがやっていました。しかし、なぜかスペイン語の講義がなく、あるのは英語、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、ハングル語など。 
いまから考えると不思議ですね(笑)。最近はようやくスペイン語の先生を採用して、教育が始まったようですが・・・。
だから大学院に進学してからは独学です。半年くらい文法をガ〜っと勉強するとやっと本くらいは読めるようになりました。

I:半年で本が読める!?それってすごいですね!! 私は多少話せても、まだまだ本は読めないですよ・・・・(笑)

教授:私は逆ですね。本は読めるけど、ヒアリングとスピーキングが難しい。日本人の典型的なパターンですよね(笑)。

南米研究をしている人には2つのタイプがありまして、1つは東京外大とか筑波、上智のような地域研究科やスペイン語学科を出て研究に入ったタイプの人と、私のように地域研究やスペイン語とはまったく関係なく、むしろ経済学、政治学、社会学などから入るタイプの研究者です。独学で半年文法をやって読めるようになったけど、しゃべるのと聞くのはなかなかしんどくて苦労しました。メキシコで1年研修している間に少しずつ聞く練習としゃべる練習はでき、その後チリに2年いましたからそこそこ聞いて話せるようにはなりましたが、若い頃に外国語学部でみっちりスペイン語の基礎をやってないから、いまでもやはり会話は苦手ですね。

I:今回いらっしゃった主目的または動機は? 研究する為にいらっしゃったんですよね?

教授:研究する為です。

I:どういう立場で来られたのですか??

教授:私の場合は、私立大学の在外研修制度を通じて来ました。在外研修制度とは、私学振興財団とうちの大学が半分ずつ折半して費用を出し、教員を海外で研修させるというシステムです。いわば、大学の先生を海外に送って最先端の研究をさせ、また大学に戻ってきてそれを生徒に還元するというのが目的ですね。

I:ところで先生はどうして経済学を選ばれたのですか?

教授:う〜ん、それはちょっとスペイン語でいうと“un poco complicado”(ちょっと難しい)ですね!!(笑)

深い意味はありませんが、法学部のようななんとなく誰かがつくった条文をあれこれ解釈するようなものは嫌で、文学部のように文学を研究するというのもねぇ・・・まあ、でも理系か文系かというと私は文系だったのですが、文系の中から選ぶとすると、法学部、文学部も嫌だったんで、じゃあ後何があるかな??と消去法で残ったのが経済学部だったんです。ハハハッ・・・たいしたドラマはありません。

質問されていないのに自分から先に言ってしまうのも何ですが、私のやっているチリの研究に関してお話をしますと、研究のこれまでのメインテーマはチリ経済史だったんです。19世紀、つまり、1830年代から20世紀にかけてのチリ経済はどうだったんだろう?ということを過去10年間テーマとして研究をやってました。なぜそんな研究をやったかといいますと、当初はチリの現在のことをやりながら、経済政策とか農業問題に関する論文を書いていたのですが、やっているうちに、「こういう表面をなぞっただけの研究では皮相じゃないか?」「チリを理解する為にはもっと歴史を勉強しないと話にならないのではないか?」と思い始め、それからどんどん遡及してしまって結果的には19世紀から20世紀にかけての100年間という長い期間の動きを勉強することになったのです。この研究テーマとの関連で、8年前にはチリ・カトリック大学のInstituto de Historia、日本語でいうと歴史学科ないしは歴史研究所でしょうか、そこで勉強してその研究室で一生懸命日本語で書いた論文を2000年に『衰退のレギュラシオン チリ経済の開発と衰退化1830-1914年』(新評論社刊)という本にまとめました。530ページの分厚い本です。重さだけはとりあえず、日本でもトップクラスです(笑)。これは是非商工会議所でも買って常備してもらえばうれしいですね・・・(笑)。自分で言うのもなんなんですが、日本人がチリについて書いた本で、こういう単著は初めてです。

I:なるほど 

教授:誰か翻訳でもしてくれれば本当にうれしいのですが・・・ 日本語だとチリ人が読めませんからね。

I:確かにそうですね。

教授:自分の書いた業績をスペイン語もしくは英語で発表していれば、と今回留学してつくづく反省してい、ます。自分の研究をチリ人に分かってもらえませんから・・・。しかし、日本人で書いたチリ経済史に関する大変分厚い日本語の本があるらしい、という噂は、私がせっせと宣伝したせいもあって、チリ大学の先生や、チリ人で日本研究をしている人々の間では少し浸透したようです(笑)。中にはスペイン語に翻訳すればどうだ、とも言ってきたチリ大学の先生もおられ、出版社の人を紹介してくれる段階まで話が進みましたが、残念ながら、チリには、日本語を読める人がおらず、やるなら、自分で翻訳をやらなければならないような話になったので、さすがに、それは時間がかかりすぎて無理、と言っている内に、帰国が迫り、話も立ち消えになってしまいました(笑)。

その過程で気付いたのですが、チリの場合、日本とは違い、やはり、日本やアジアからの文化輸入は、スペインやメキシコ経由でやっているんですね。つまり、日本には、チリの本を翻訳できるだけの研究者がいますが、チリには、日本語会話はできても、日本語の研究書をきちんと読みこなせるだけの人材がいないんです。そのため、文化的な貿易収支でいうと、日本は輸入超過なんですね。小国であるチリの人の書いた本は割と多く日本語に翻訳されていますが(パブロ・ネルーダ、アニーバル・ピント、ハイメ・エイサギレなど)、大国である日本から小国チリへ翻訳され輸出される知財は、ノーベル賞作家(川端康成とか大江健三郎)や、英語圏で出版されたような本に限定されているのです。

この点は、あらためて、日本のすごさとハンディキャップの両方を認識しました。つまり、明治以来、日本がいち早く近代国家として成功したのは、世界中のありとあらゆる文化や情報を、翻訳出版という形で紹介できた日本人の優秀性があったからだと言う点と、他方では、日本語という特殊な言語が壁になって、文化の貿易収支の点で入超になってきたという残念な点です。

後者の点に関して言うと、日本人も英語で本を書けばいいじゃないか、という発想につながるかも知れませんが、文化の貿易収支赤字を解消するためには、例えば、チリから日本への留学生をどんどん増やし、チリで日本語の読み書きのできる親日的な若者をどんどん育てていくことが大事じゃないだろうか、と感じました。ちょっと話がそれましたが。

私の研究書の話に戻ると、研究内容が欧米語であろうと、日本語であろうと、本自体の内容に関してはまったく手抜きはしてません。日本語のよめるチリ在住の皆様には、ぜひ、読んで欲しいと思います。 本の詳細は  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9974308054を参照下さい。

I:先生のことをインターネットで検索すると、必ずその本の紹介がでてきますよね

I:例えば19世紀に遡ると、チリの経済の今の基盤というのはそこからしか始まらないということですか?

教授:ようするに20世紀、21世紀の今のことを、ごく短期の視点で議論する経済学者、研究者の方が多くいらっしゃいますが、その方たちには怒られるかもしれませんが、それは皮相なんです。やっぱり今があるのは過去があるからであり、結局過去がどうだったのかということを知らないと、今を語れない部分があるんですね。

   まあ私が、どういう動機でこういうことを調べ始めたかというと、一つはみなさんもご存知かもしれませんが「チリの経済的ミラクル」についての議論からなのです。チリという国は1980年代半ば以降に、それまでの保護主義的な経済体制を自由化の方向に舵をきり直し経済運営をうまくやったという議論があります。その議論の背景には、自由化、規制緩和こそ経済発展の大きな秘訣だという見方があるのです。しかし、実はその説の半分は真実ですが半分は間違っているんですね。これが、私の本の隠れたテーマです。なぜかといいますと、1830年から1914年までのチリの経済史をみると、今の常識とはまったく逆でその経済政策があまりにもリベラルすぎたために、20世紀の経済衰退につながるような低開発性を生み出した、という事実があるからです。

みなさんは、チリが銅の産出国というのは当然ご存知だと思いますが、日本が幕末から明治にかけて世界市場でも屈指の銅の輸出国だったという事実はご存知ですか?

I:“足尾銅山” 

教授:そうそう・・・足尾や別子銅山。それから石炭輸出というのも日本の幕末から明治にかけての重要な産業だったんです。つまり、鉱山部門が重要だったという点では、かつての日本とチリは似通った点が多々あったのです。

I:それなのになぜチリは??

教授:そうなんです。第1次世界大戦前くらいまではあきらかにチリの方が一人あたりの所得水準が日本より高かったのに、なぜそれが逆転してしまったか? これが大きな問題なんです。

I:所得水準が逆転したというのはいつくらいの話ですか?

教授:だいたい1960年代くらいに逆転しますが・・・

I:それまでは日本は下だったんですか?

教授:下だったんです。

色々な統計水準があるからはっきりと言えない部分もあるんですが 戦後の1945年日本は焼け野原だったわけですからその辺りまでは日本人1人あたりの所得水準はものすごく低かったんです。日本では1955年くらいから高度成長が始まりますから、1人当たりGDP推計だけをみると、60年代辺りが分岐点になります。

しかし、そのデータだけで判断すると、それ以前のチリは日本よりも進んでいた、ということになりますが、実は単純にそうとはいえないさまざまな事情があるのです。その一つが、さっきお話しした銅の政策にかかわっています。例えば、日本の場合は、明治維新が起こった時に、「日本坑法」という法律を1873年に作りました。「日本坑法」とはどんな内容かといいますと、日本人以外は日本の鉱山を一切開発してはならんという法律です。しかし、同じ時期にチリはどうしたかというと、「どんな人でも開発していいですよ、そのかわり輸出税をいただきますよ」という、きわめて自由主義的な経済政策を採用したのです。その結果、19世紀には、民族系銅山企業は競争に敗れ、銅も硝石もすべて外国資本による経営となり、百年後の、1960年代末から70年代初等にかけて、銅のチリ化・国有化が起こるまで、チリの基軸産業、つまり今の日本でいうと、半導体や自動車産業みたいな最重要経済部門ですね、これが、全部外国資本に牛耳られるような事態が生じたのです。

もちろん、昨今のネオ・リベラリズム的な発想でいえば、鉱山部門が外資による経営でも別にいいじゃないか、という見方も可能です。しかし、鉱山部門がチリ最大の産業であったという点を考慮すれば、これは望ましいことではありませんでした。日本の場合も、明治期に強烈なナショナリズムを持った明治政府が誕生せず、チリと同様、鉱山を、イギリス資本やアメリカ資本の開発に任せていれば、たぶん、いまのような日本の繁栄は無かったと思います。

みなさんは、九州長崎にある高島炭坑ってご存知ですか?長崎港の沖合にある小さな島にあり、いまは廃墟になっている炭坑です。島の一つは、島にたつ建築物が軍艦のように見えることから、「軍艦島」という異名を持つことでも知られています。この高島炭坑はもともとイギリスの外国資本による経営でした。ところが明治維新政府が「イギリスが石炭を掘りつづけると今に日本の石炭資源はすべて外国資本に握られてしまう」と危機感を持ち、先ほどの「日本坑法」というものを作り、イギリスの商社の権利を買い取る交渉を行って、最終的には、経営を日本人による経営(三菱)へと変えたんです。つまり、日本坑法という法律を制定することで、日本人による鉱山開発が行なわれた、そういう歴史があるわけですね。

ところがチリでは、日本とは全く逆の歴史が展開します。19世紀半ば、チリで最大のタマヤ(Tamaya)銅山が発見されるのですが、この鉱脈を発見し大成功したのが、チリ人のウルメネータ(J.T. Urmeneta)という人物です。このままいけば、日本と同じく、チリでも、チリ人による鉱山開発が主流になるはずだったのです。

しかし、不幸なことに、当時の政府は、日本のように、自国民による開発を後押しするような政策を一切とりませんでした。その結果、1870年代以降、チリ人の銅山経営は衰退し始め、20世紀に入ってからは、主要銅山はすべてアメリカ資本による経営へと代わっていきます。また、19世紀70年代以後に、新たなチリの基軸産業となった北部チリの硝石産業においても、チリは自国民の開発を支援せず、輸出税収入さえ入ればOKという考え方を取りました。その結果、硝石の権益は全部イギリス資本に渡ります。チリの富裕層はどうしていたかというと、銀行業や商業など、第三次産業の事業に関わり、鉱業はもとより、製造業などの実業からは遠ざかります。彼らは、輸出税によって潤うサンチャゴに豪邸を建て、使用人を使って左うちわで暮らしていたというのがチリの19世紀から20世紀の姿だったんです。 その後の日本が、銅や石炭産業から、次第に、製造業へと経済構造を発展させ、強力なフルセット型の産業構造を持つ国へと発展していくのに対し、その後のチリは、一次産品輸出に依存した途上国の性格を強めていくのです。つまり、比較経済史的な観点からいうと、19世紀チリの自由主義的な経済政策は、チリの経済発展を遅らせた元凶の一つ、といえるのです。

I:経済学から離れるかもしれませんが、日本とチリの違いはなんでしょうか?日本はなんやかんやいっても単一民族として狭い国でやってきたので日本人意識が強いでしょ? その辺りチリ人ってどうなんですかね?チリ人意識がなければどこに売ろうと関係ないですもんね。。

教授: 日本と違い、19世紀のチリでは、チリ人という意識が希薄であったことは確かですね。基本的に移民の国ですから。その点が、明治維新政府のような強力な産業国家にしてやろうという意欲を、チリでは希薄にしていたのだと思います。しかし、世界経済の歴史の中では、各国の経済発展にとって「決定的な時期」というのがあって、例えば今の21世紀の今日においてものすごく保護主義的かつナショナリスティックな政策をとってチリが成功するかといえば、疑問符がつくんですね。ところが19世紀のように、色々な国がヨーイドンという状態でスタートラインに並んでいるときに経済政策を失敗するかどうかは、その後の成長軌道に大きな影響を及ぼすのだ、と私は考えています。例えば今の先進国の歴史を見てみるとイギリスも、ドイツも日本もすべて保護主義によって経済発展をとげています。こういう私の議論は、今チリが保護主義をとったら成功するかどうか?とかそういう議論ではなくて、歴史的な事実としてチリが失敗した大きな理由は、世界経済史上の重要な時期に、チリ政府がやるべきことをやらなかったことにあるのではないか、という議論なわけです。『衰退のレギュラシオン』で扱ったテーマの一つはこういう点です。つまり、政策担当者に工業化への強い意志があるかどうかというのが19世紀、さらには20世紀における経済発展のあり方を大きく規定した要因だったんですね。 

I:先生の話を聞いていると比較経済史というか、日本との比較でお話されましたがチリの経済学者の中でそういう研究をなさっている方はいるんですか?

教授:チリは歴史学者と経済学者はわかれており、私みたいにその間を繋ぐ人はあまりいません。チリの経済学者はアメリカ留学組みが多く、アメリカで主流の経済学、その別名は新古典派経済学とかネオ・リベラル経済学とも呼ばれますが、その影響を受けた人が多いですね。その典型がカトリカ大学に多いシカゴ学派と呼ばれる、かつての軍政や右派政党シンパの人々です。チリ大学の経済学者も、アメリカ帰りの留学組がほとんどですが、カトリカ大学と違い、政治的にはリベラルで、反軍政、親コンセルタシオン政権、というスタンスの人が多いようです。私のいるところはチリ大の物理数学学部にある応用経済研究センター(セア、CEA, Centro de Economia Aplicada)というところでして、産業工学科の下にある組織です。セアを特集した、La Tercera紙の記事によると、「サンチャゴの片隅に、チリの世界的な頭脳が集結している」とのことですが、こういう表現はあながち誇張ではありません。常勤研究者はわずが10数名ですが、どの研究者もアメリカの一流大学で学位を取った優秀な先生方だからです。世界的な一流学会誌への投稿数では、チリ大学の経済学部を抜いてここがトップです。スタッフはよくテレビに出たり、新聞にコメントを出したりしています。ベラスコ蔵相や文部副大臣のピラール・ロマゲイラさん、鉱山省副大臣のパブロ・セラさんなども、ここのスタッフでした。ロマゲイラさんは、私がCEAに来たときのセンター長で、とてもシンパティカな人でしたが、バチェレ政権が生まれたときに副大臣として入閣し、現在はオン・リーブの形になっています。話をもとにもどしますと、ここのスタッフはみな、難しい数学を操り、政策立案過程にも大きな影響力を及ぼす優秀な人々なのですが、残念ながら、あまり歴史には関心がないようです。

I:チリ人の学者の中で問題意識というものはないのですか?例えば先生みたいに外国人ですよね。外国人がそんなこと研究しているのにチリ人は誰もしていないと そういうことに対して問題意識はもっていないんですか?

教授:歴史研究をしなければいけない、という問題意識をもっている経済学者は、私が知る限り、パトリシオ・メレル先生だけだと思います。彼はアメリカのバークレーの出身ですが、この大学はアメリカの大学の中でも多様な経済学を許容していたリベラルな大学の一つです。他方、シカゴ大学などはマネタリストの拠点では、自由化が一番いいんだという教育だけをやって、多様な経済学を許容しない雰囲気があったようです。シカゴ大学は、マネタリズムの教えを南米に広めるために、チリを含めた南米諸国から多くの留学生を受け入れ、マネタリストとしての教育を施した後に、南米各地に帰国させて、その思想的な影響力を強める政策を、意識的に採用したといいます。その点、バークレーは、シカゴ大学よりも、経済学の多様性を重視し、ラジカル経済学やポスト・ケインジアンなどの異端的な経済学の影響力があったと聞きました。メレル先生も、そのような学風に影響を受けたのでしょう。先生は、数学もよくできる方ですが、歴史についても深い洞察力のある方です。ちなみに、ベラスコ蔵相は、メレル先生の教え子です。

I:そういうことからメレル先生のもとで研究されようと思われたのですか?

教授:そうです。先生は、19世紀から1990年代にいたるチリ経済の長期分析を行った大著があるんですが、それを読んだところすごく興味を持ったため、先生に「私はこういう本を書いて、チリの経済史を勉強しているものですが、メレル先生の業績に感動したので是非受け入れてくれないか?」と直接手紙を送ったところOKと返事がき、受け入れてもらった次第です。

I:へ〜そうでしたか・・・そういう先生ですが言い方を変えれば、チリ人としての誇りをもって仕事を進められているのですね?

教授:メレル先生はそういう感じです。

I:最近疑問に思うのですがアルゼンチンでもそうですが、果たして自分の国に誇りを持っているのかなというのが。。

教授:アメリカに頼りすぎているような気もしますが・・・

I: アルゼンチン人なんて、財布にみんなドル札入れて歩いてますよね?

I:ところで、経済自由主義的な考え方というのはもともとチリにあったのですか?

教授:経済政策というのは長い歴史を勉強すればたえず繰り返しているんです。

19世紀から20世紀の前半にかけては、19世紀は自由主義万歳の時代です。皆さんご承知のとおり、1929年恐慌によって南米の中でもチリは一番の被害を蒙りました。その1929年恐慌以降、チリは自由経済政策に対する考えが180度変わるんです。先進国資本に依存し、自由貿易ばかりやっていたのでは大変なことになると。こう考えが変わったことで戦後の輸入代替工業化へとつながっていくんですね。これは歴史の流れを見れば当然のことです。しかし、この保護主義に基づく工業化戦略は、1950年代頃までには一定の成果を上げはするんですが、保護主義政策とは経済効率性を犠牲にすることですから、やがて、その悪い面が出てしまい、結果的に、経済衰退に歯止めをかけることはできませんでした。そうこうするうちに、政治的にも混乱し、1973年クーデターという政治経済システムのブレークダウンが生じてしまうわけです。その後の展開はというと、今度は再び19世紀のような自由放任政策へと政策の舵が切り直され、今日に至るわけです。いまの経済自由化トレンドは、19世紀後半から20世紀初頭の知的雰囲気と似ており、保護主義的な輸入代替工業化を進めた世界大恐慌以後の時代は、植民地時代から19世紀前半頃までの重商主義的な保護政策の時代に似ているのです。つまり、経済政策は歴史的に輪廻するのです。歴史をみるというのはそういうおもしろさがあるんですね。

I:チリの自由主義経済といいますか、チリはそれにはまっているという感じですか?

教授:色々な要因があります。ピノチェ時代にネオ・リベラル政策をやり、コンセルタシオン政権になっても、財政均衡主義などは継承されましたが、細かく見ると決して軍政期の政策を100%は継承していないのです。社会政策とか富裕者増税などを組み込みながらネオ・リベラルモデルの負の側面を矯正しているのです。ただし、経済学者の多くは自由貿易こそが一番、と信じているので、チリのTLC(自由貿易協定)にしてもこの政策の方向性はしばらくは変わらないと思います。

しかし、私のような経済史的な立場からチリ経済に潜む問題点を指摘すると、一番心配なのが、実は、技術の問題なのです。日本とチリと比べると何が違うでしょうか?違いはいろいろとあるでしょうが、一つの大きな違いは、両国における技術開発能力が、根本的に異なるという点です。例えば、ラス・コンデスの煌びやかなショッピングモールへ行きますね。すると、確かに、そこにはありとあらゆる耐久消費財が溢れており、ここ20年でチリが豊かになったことが実感できます。しかし、よくよく目をこらしてみると、どうでしょう? その商品のほとんどが外国からの輸入品であることが分かります。要するに、チリがいまのようなネオ・リベラル的な自由化戦略を持続し、比較優位部門である銅や鮭などの一次産品輸出に依存した経済構造を続けていった場合、経済発展にとって大切なファクターである技術を革新する能力が、本当に育っていくかどうか? この点が、実は、重要なポイントなのです。

というのは、技術をイノベーションする力というのは製造業の存在とものすごく深くかかわっているからです。日本には、改めていうまでもなく、日本全土、津々浦々に、さまざまな中小の製造業部門が存在し、日本経済の目立たない柱として頑張っています。しかし、チリでは、長年のネオ・リベラル改革の過程で、比較優位のない製造業部門の温存は経済の効率性を損なう、というネオ・リベラル的な経済学の主張を真に受け、多くの製造業が絶滅してしまいました。その結果、例えば、ピーメ(Pymes)と呼ばれる中小企業は、すごく不安定な状態に置かれているのです。

しかし、日本の場合は製造業の中小企業がいたるところにあって、そういう所に技術の蓄積がいっぱいあるんですね。例えば東京でいえばどこでしたっけ・・・?

I:大田区。日本は中小企業が強いというのが本当の原点なんです。

教授:そうそう、例えば、大田区です。しかし、中小製造業の存在が、技術開発を下支えをする重要な要因であることを、チリの政治家も経済学者もあまり気がついていないのです。

例えば、チリ人は、R&D(研究開発投資)のお金を増やせば自動的に技術開発ができると思っています。なぜそう思っているかというと、R&Dのお金の比率をデーターで比べてみたらヨーロッパやアメリカや日本の方がチリより大きいのです。だからこれを増枠すればチリは技術革新できる!これだけの議論です。ものすごく浅薄でしょ?お金さえ増やせば自動的に技術開発ができるわけではないのです。

日本をみてみると色々な大学の技術開発は中小企業と連携でやっているんですね。実験装置一つ作るにしても中小企業の人が助けているのです。例えば技術開発に関して話はそれますが、ノーベル物理学賞をとったニュートリノ研究の小柴昌俊氏ですが、実際に彼の研究、実験を可能にしたのは浜松のホトニクスの技術でしょ?あの中小企業がなければ彼の発見はありえなかったんです。製造業の蓄積というものが日本の技術力をささえているんです。そういう、視点がチリのネオ・リベラル系の経済学者にはほとんどありません。つまり、彼らにとっては、製造業も農業も鉱業も、単なる産業部門の区別にすぎないのです。ネオ・リベラル系経済学(新古典派経済学)は、数学ばかり多用した抽象的なモデル分析ばかりやるので、現実の製造業部門が他の産業部門として比して異なっている点が分からないのです。だから、デービッド・リカード、この人は、現在の貿易論の基礎を作った19世紀イギリスの経済学者ですが、このリカード以後、抽象化の度合いをどんどん高めていった数学だらけの貿易論が推奨する「自由貿易万歳」的な命題を鵜呑みにして、製造業の持つ可能性を無視してしまうんです。

 もちろん、経済学者のすべてがそういう愚かな間違いを犯しているわけではありませんよ。ネオ・リベラリズムに毒されていない経済学者達が、新古典派経済学の貿易論に対して理論的にも、反旗を翻しはじめています。例えば、CEPALに集っている優秀な経済学者達がそうです。例えば、CEPALにいるオカンポや、チモリといった人々は、ネオ・リベラル的な自由貿易を持続する限り、途上国は永久に技術革新できないという貿易モデルを作っています。この貿易モデルは技術ギャップによるローレベル・トラップ、あるいは技術ギャップモデルと呼ばれますが、この議論によると、比較優位構造に沿った自由貿易体制をチリがとり続ける限り、チリは永遠に技術革新を生み出す効果を持ち得ないということになります。

例えば、チリが目指している技術革新のイメージは、銅、サーモン、パルプ部門に最新鋭の機械やコンピューターシステムを導入して各部門の生産性をあげる、そうすれば、輸出部門の生産性の上昇につながり、なおかつ、そこから何か新しい産業、技術革新が起こるはずだというサクセスストーリーです。しかし、チモリらの貿易理論によれば、外国から資本や技術を輸入してそ生産性を上げるというモデルでは永久に技術革新は起こらないんです。実際、少し前のEl Mercurio紙には、CODELCOが、日本のNTTの協力によって最新鋭のコンピューターシステムを導入し、生産の効率化に貢献したというニュースが掲載されていました。また、鮭の養殖業界やワイン業などでも、先進国から最新の技術を導入し、生産の効率化、近代化を図っているというニュースを読んだことがあります。しかし、こういう技術輸入は、一時的に、これらの産業の生産性を伸ばし得たとしても、技術開発そのものの起源がチリにはないので、そこから、何か、世界をあっと言わせるような技術革新が生まれることは考えられないのです。むしろ、先進国への技術依存を強めるだけなのです。

乱暴な言い方をすれば、チリには製造業がないでしょ、だから技術革新をしようと思っても無理なんです。今のような経済自由化政策を続ける一方で、いくらR&B予算を増やし、技術開発支援をしようとしても、製造業という基盤がない限り、世界をあっと言わせるような技術革新は起こりえないのです。

過去20年間の製造業部門の労働生産性格差をみると面白いことが分かります。チリの製造業、この中には、もちろん銅関連や、サーモン、パルプ、食品加工業などが含まれていますが、これら製造業の労働生産性は、絶対値では上昇しているのですが、アメリカとの比較で見ると、た相対的にはどんどん下がっているんですよ。要するに、これが技術ギャップですね。

話が込み入るので、式の導出過程などの話は省きますが、この技術ギャップと経済成長には、数学的に言うと、 y=ψ/ε x という関係があるのです。つまり、所得の成長率y は、ψ/εという分数と、輸出成長率xに関連づけられるのです。ψは技術ギャップ(自国と相手国の労働生産性の伸び率の比)で、εは輸入の所得弾力性です。チリにとって、技術ギャップが広がるというのは、このψの値が下がっていくと言うことです。つまり、この方程式が示していることは、いくら輸出が増えても、技術ギャップが広がったり、輸入性向が高まると、成長率を押し下げてしまう関係が存在するということです。だから、高い成長を遂げようと思えば、どんどん輸出を増やしていかなければならないのですが、いまのチリに見られるように、国民がラス・コンデスのショッピングモールの快適さに慣れ親しんでしまうと、先進国からの耐久消費財輸入はどんどん増える一方だし、先ほど述べたように、輸出部門の生産性向上のために、先進国からの技術輸入に頼ると、結果的にεを高めることになるのです。そのため、輸出が増えた割には、成長率はさほど増えない、という現象が生じます。

実際、チリでは、輸出しようとすればするほど輸入が増えちゃう現象があります。例えば銅を輸出しようとすれば外国から最新鋭の機械を導入し、それを定期的に減価償却して新しい機種に更新していかなければなりません。コンピュータ設備なんかはその典型で、先進国での技術革新があまりにも早いので、最新鋭の装置も、数年で陳腐化してしまいます。つまり、一度、先進国の技術に依存してしまうと、半永久的にその技術に依存しづけることになるんですね。先進国への技術依存とは、途上国にとっては、一種の麻薬のようなものなんです(笑)。

かつては、例えば韓国や台湾でも同じ事が起こりました。韓国や台湾で、アメリカ向けの製造業輸出が増えると、日本からの資本材輸入がどんどん増え、結果的に対日では貿易赤字が増えるという問題です。それと同じような問題がチリにもあるんです。ところが韓国や台湾はチリと違って製造業を振興する政策を強力にとったので、台湾では中小の製造企業が多く勃興し、韓国は財閥を中心した技術革新に成功して、HYUNDAIやSAMSUNGなどの世界的大企業を生み出していきました。これら企業は、今では日本企業を脅かすほどですよね。しかし、チリにはこういうドラマが期待できないのです。

I:今銅の値段高いでしょ?銅を掘り出したら余計なモリブデンがでてきたりして。。聞く所によると原価は“マイナス?!”  ようは何もしなくてもどんどん儲かる状態ですが そういう状態だったら誰が努力しますかということでそうね?

I:今新聞でも話題になっているオランダ病といわれる一つの産業が強すぎて他の産業が育たないという典型的な状況ですよね?

教授:そうですね。ただし、国際経済理論で、オランダ病モデルという場合は、あくまでも為替レートが割高になって輸出部門が不利化し工業が解体していくというモデルです。石油や銅、硝石などの強力な一次産品輸出部門を持つと、単に為替レートが割高化するだけでなく、もっと政治経済学的な因果関係が働くことを忘れてはならないと思います。一国の中に例えば銅のようにバカバカ金が儲かる産業があると誰がいったい努力しますか、と。チリにも19世紀に同じような問題があったんです。硝石でめちゃくちゃ儲かったんですよ。輸出の8割を硝石で稼いでいましたから。

I:う○こで儲けているみたいなものですよね? あれ鳥のフンですよね?

教授:ハハハッ それはグアノです。

I:あれは違うの??

教授:それはペルーのグアノで、硝石はまた別の鉱物です。肥料に使えるという点では、関係あるんですけどね。

I:今のお話を聞いてて思い出しましたが、先日El Mercurio紙の記者と話をしたときにスペインが違う意味ですが、昔は中小企業を支える徒弟制度みたいなのがしっかりあったんですが、今はみんな大学に行け行けと言わる時代でそれが崩れてしまい支えるところがなくなって空洞感になっているという話題がでました。日本も笑っていられないですよね

教授:その通りです。日本も、うかうかしていられないと、私も感じています。なお、チリをみながら日本のことを考える。その点に関しては内橋克人さんと共著で出した本をみてもらえれば、と思います。私たち、ラテン・アメリカ研究者は、昨年、評論家の内橋克人さんとのコラボレーションで、『ラテン・アメリカは警告する-構造改革日本の未来』(新評論社刊)という本を上梓しました。宣伝ばかりで申し訳ないですが(笑)。この本のコンセプトは チリとか南米の経験をみながら日本の将来を考えていくというものです。書籍の詳しい情報は、このアドレスを参照してください。

(http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=4-7948-0643-4)。

I:日本の製造業の強さは、下に職人芸があるんですよねえ。

教授:そうそう。

I:職人芸は計算だけでは不可能なことを感覚でやっちゃうんですね そういう世界がどこにもあるんですよえね。でも最近日本人も不器用になっていますよね?

教授:日本の将来を考えると暗くなるんですが、チリとか他の国に比べると日本はまだいい方です。チリの場合は何が間違っているかというと、過度のエリート主義教育という点ですね。チリ大学やカトリック大学でどんどんエリートを量産し、MBAの有資格者を増やせば、自ずと経済発展に結びつくだろうと考えているのです。しかし、日本の技術を工場で支えているのは実は高卒の人たちだ、というような事実がよく分かっていませんね。アメリカの真似をしているのでこうなったんですかねえ? 

I:銅でお金が儲かれば何もしないじゃないですか ということに、私もそうだなと思いますがそこは政治家が国の将来を考えなきゃいけないんではないですか?

教授:。危機感がないのかもしれません。TLCにしても日本にとっていいことと、チリにとっていいことが別なんですよ。日本人としたら自由化をこのまま継続して日本からどんどん車を買ってくれたり、日本の商品がチリに出回ってくれるとうれしいので、自由貿易は日本の国益にとっては万歳なんですが、仮に私がもしチリ人だったら違う政策をとるだろうなあ、と思います。でも仮に私がチリ人でもこういう考えかたをしているのは少数派なのでチリでその政策が実現することはないでしょうけど。その意味で政治家は、これまでの経済自由化的なチリモデルの過去の20年の成功体験に縛られすぎなのです。経済自由化や財政均衡主義という「徳目」がオブセッションになって、さらに一歩踏み込んだ、製造業振興策をとれないでいるのです。

I:でもそれはそうであっても明治維新の時にない金はたいてヨーロッパに送ったりするわけですよ、僕はよかったと思いますが最終的に成果としてあがってくるわけじゃないですか、そういうのをちゃんとチリの政治家はみてあげないといけないし、そこは理論とかじゃなくてある程度産業や経済を離れて政治家がきっちと先をみて手をうたないと。。

先ほどおっしゃったエリートというのはまさに高学歴の人を欲しいといったときに、チリの場合はチリ大学、カトリック大学出身者以外は受け付けませんという職種の募集があるらしいのですが、それはあきらかに循環がしない?ようは貧富の差?地位をもっている人だけが中でぐるぐるまわっているんですね、危機感がないからその人達は安泰なんですよ、だから彼らがいくら政治をやるとしても自分たちには危機感がない今がよければいいという考え方なのです。

教授:チリ大の先生でおもしろい研究をした人がいるのです。“チリにメリトクラシー(業績主義・能力主義)があるのか?”結論はどうかといいますと、“メリトクラシーがもしあるとしたら学歴とその人の出ている地位には相関関係があるのではないか?”厳密な計量分析をしてみると、例えば一流大学を出ている人が高い収入を得ているかというとそうではないのです。今の所得水準を説明する因子として学歴のウエイトがあんがい低いんです。それは何を意味しているかというと“チリにおけるクライアンテリズム”の存在 、つまり、人を採用するとき“あなたはどこの地区に住んでいますか?”“あなたのファミリーはどういうファミリーですか?”というようなことが幅をきかせているんですね。

I:でもある程度お金持っていないと、チリ大やカトリカ大学には行けないですよね?

教授:だんだんそうなってきますね。しかし、チリ大学の場合は、奨学金や学費の安さなどで、低所得の人でもまだぎりぎり進学できる仕組みがあります。その点はチリの社会的流動性の高さを保証しているよい側面だと思います。必ずしも学歴によって収入格差は説明できないという議論はあるけど、それでも、国立大学としてのチリ大学の存在が、社会格差を是正し、社会的な流動性を高める重要な装置として働いています。チリにおける一番の大学が国立大ということなので、親は貧しいけれど、PSU(チリの試験制度)でいい点をとると奨学金がでる仕組みがありますので、事実上無料で大学へ行けるのと同じ仕組みが存在するのです。もちろん、公立と私立の初等、中等教育の質の差に開きがあるので、低所得層ほど、学歴の点でも不利になる、という問題は存在しますが。

I:日本では、例えば現場のおっちゃんおりますよね?彼らは中卒ですぐ働き始めた人ですが、子供を大学に入れると歯を食いしばって頑張ってます。。。もしかすると次の世代には、その息子に使われているということも通常ありえますよね?でもチリでは絶対にないでしょ?その差が大きいですよ。

優位な人材に機会を与えることを考えないとだめですよねえ

教授:そのとおりです。メリトクラシーというのはものすごく重要なんですね。つまり頭の悪い息子でも親父が金持ちだからいい企業に就職できるという社会が万延すると社会が停滞しちゃうんです。それがメリトクラシーが働いている社会かそうでないかの差です。日本の活力はそこにあったんです。明治維新を主導したのは下級武士ですよ。一番最下級の人たちが江戸幕府を倒して クーデターを起したわけです。彼らは下級武士出身だからこそ、身分にかかわらず優秀な人たちを大学制度によってどんどん吸い上げるメリトクラシーの仕組みを徹底させた。これが効いたから日本はものすごく高い経済成長を遂げたのです。メリトクラシーは重要なんですね。チリがそうなっているかどうかという点に関していうと一抹の危惧はあります。

I:色々チリの経済の歴史について語っていただきましたが1年間研究されていた事に関して新しい成果を発表される予定はありますか?

教授:日本に帰ってから・・・ですね。 お恥ずかしいことに、この一年間1本も論文書かなかったんですよ。ずっと本を読むばかりで。なんの勉強をしたかというと数学の勉強したんです。なぜ数学の勉強をしたかというと私の研究テーマはいくつかに分かれていて、チリ研究が1つで、もう1つの研究は経済理論だったんです。経済理論のテーマというのは、主流派経済学(新古典派経済学)批判なんです。ミクロ経済学のような経済学を批判するのがテーマなんです(笑)。進化経済学や複雑系の経済学、ポスト・ケイジアンやレギュラシオン・アプローチなどの異端的な経済学を学ぶことで、主流の経済学(新古典派経済学)を批判しようというのが私のライフワークなんです(笑)。しかしそれには数学を勉強しないと批判できない。なぜなら批判する対象が数学を使っているから。

I:チリで数学の勉強ですか??

教授:そうです。なんでチリに来てまで数学の勉強なのか?と自問する日が続きましたが、日本にいるとホント教授会や授業で忙しく、集中して数学を勉強する時間が取れなかったのです。だから、今回1年、まるまる自由に使える時間があったのでものすごく集中して数学の勉強ができました。小山昭雄さんという方が難しい経済数学の本を 8巻本で出していますが、チリ滞在中にその本を全巻、隅から隅まで読破しました。地下鉄の中で数学の本を読み、研究室でも数学の本を読んでいたので、そういう意味ではチリの現実を勉強する時間が制約されて「あかん!俺、こんなことしてていいのかな?」という疑問はありましたけど、「しょうがない! 1年という限られた時間だから、チリの現実を勉強するといってもバスであちこっちいったりとか、チリ人とお酒を飲んで話したりするとあっという間に1年間は終わってしまう、だから、最初からテーマはしぼって最低限これだけはやろう」と、自分を説得して頑張りました。その成果は、東大の柴田徳太郎先生たちとの共同研究に結実する予定です。このプロジェクトは、新しい経済学の教科書を書こう、というものです。私は経済成長論を担当しています。順調にいけば、来年には出版される予定です。無事、出版できましたら、カマラ(日智商工会議所)にもお送りしますので、ぜひ、ご一読下さい。

I:興味深いお話ありがとうございました。来週ご帰国されるということですが、カマラでも講演会をしていただければよかったですね。残念です。

教授:本日は、お招きいただき、どうもありがとうございました。

Camara Chileno Japonesa
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