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歌手 松田美緒さん

日時:2011年3月31日(木)
場所:ホテル・アットン
インタビュアー:チリ日本ハム有限会社 澁谷雅孝

  ファド、ポルトガル語圏の様々な音楽文化を習得し、カーボベルデに歌手として滞在した経歴を持ち、現在はスペイン語圏にもその世界を広げ、在日地球人として国境を越えて活躍する松田美緒女史が来智されました。チリにおける東日本大震災追悼コンサートを目前に控えお忙しくされている中、カマラ広報WEB委員会のインタビューを快く引き受けて頂きました。

澁谷: 松田さんの幼少期ですが、秋田生まれ、九州・京都育ちと伺っていますが、その中で 感性を育くまれた思い出の場所というのはありますか?

松田: まず、私は生まれが学校まで歩いて5kmもあるような秋田のすごい田舎で、TVも見たことがないような自然児でした。それで、いつも普通に自然の中で歌っていて、学校へ歩いていく道すがら歌を作ったりしていたんです。 7歳で佐賀県に引っ越した後も、親戚が牛を飼ったりみかん栽培をしたりしていたので、そこでも自然児で(笑)。 だから、特定の場所はないんですけど自然ですね。全身で四季を感じたり。

澁谷: そして今はファドをやられていますが、ファドに魅かれたきっかけは?

松田: 18歳くらいの頃にブラジル人の友人ができたのがきっかけで、ラジオで音楽を聴きながらポルトガル語を勉強しているうちに、なぜかポルトガルのファドを聞いてみたいと思ったんです。その時に買ったのがアマリア・ロドリゲスという歌手のCDだったんですけど、彼女の歌声に感動して、私もファドをやってみたい、と思うようになりました。
初めはCDの真似をしているだけだったんですけど、ファドにもいろいろな情景あるんです。ポルトガルは、レコンキスタ以前はもともとイスラム教徒の支配下にあったので、すごくアラブ的な旋律があって、その他にも地中海のマンドリン的な楽器のポルトガルギターが使われたり、イタリアの歌曲の影響、アフリカの奴隷のリズムがあったりして、いろいろな文化がミックスされているところにも惹かれました。

澁谷: 最初にそのCDを買われた時には、ポルトガル語はまだわからなかったんですよね? 

松田: そうです。歌詞カードはボロボロになるまで読み返しました。日本語訳がついていない歌詞カードでしたし、私が勉強していたのはブラジルのポルトガル語、そして歌詞は本場ポルトガルのポルトガル語なので普通のブラジル人にも良く理解できないくらいだったんです。

澁谷: そして、その後ポルトガルに行かれて、音楽の勉強を?

松田: はい。ファドはポルトガルではカーザ・デ・ファドという所で歌われていて、私もリスボン大学でポルトガル語を勉強しながら夜はカーザ・デ・ファドで歌っていました。その頃から、ブラジルやカーボベルデ、アンゴラの友達と一緒に音楽を始めたんです。そしてやっぱり海を越えたい。新大陸が面白そうだ、って。ファドって港町の音楽で、大航海時代から何百年もずっとあるんですけど、ファドだけじゃない場所も見てみたくなったんです。丁度その頃ブラジルの音楽祭に出ることになって、ブラジルで南米大陸を踏んだ時に「あ、ここだ」って感じました。

澁谷: それは音楽に限らず、ということですか?

松田: 音楽だけじゃなくて、全てです。文化とか。人もすごくオープンで明るくて素敵でした。
それから、カーボ・ベルデっていう大西洋の飛び石みたいな島国でも歌いに行ってました。ちょうどブラジルとポルトガルの中間にある国で、クレオール語という言葉を話すすごく興味深い場所だったので、そこでも大分影響を受けました。それで、「ああ、私は旅人だな」って感じました。
一つの国だけではなくて、たくさんの国と文化からそのエッセンスを吸収してクレオール化して行くんだなぁって。そうして遂にここチリまで来てしまいました(笑)。

澁谷: そうして、いろいろな場所で感性を育ててきたんですね。

松田: はい。それがどんどん豊かになってできたのが、ブラジルで作ったアルバム「Atlantica」でした。これは大西洋が舞台ですが、これもポルトガルの港からカーボベルデ、そしてリオ・デジャネイロまで続いていくドラマを描きたくて、そこが出発点になっています。ここでもやはりいろいろな文化が混ざり合う面白さを表現したかったんです。あと、どこの国に行っても魂が通じ合うミュージシャンがいて、そういう人たちと一緒に演奏して行くうちに、ここチリでのフランチェスカ・アンカローラに出会うことができました。今は彼女と一緒に何かを作りたいって思っています。

澁谷: フランチェスカさんとは、どういう形で知り合われたんですか?

松田: 昨年チリでコンサートをした際に、チリ人アーティストを一人加えて講演をしましょうっていう話にな ったんです。でも私はチリ人アーティストって全然知らなくて、日本の谷本さんていう方に教えていただいたのがフランチェスカ・アンカローラでした。彼女の曲を聞いてみて、すぐに「この人だ」って思いました。それから彼女に会ってみたら、本当に実のお姉さんみたいで家族みたいな感じでした。

澁谷: それじゃあ、フランチェスカさんとお会いになったのは去年が初めてだったんですね。それから、また一緒に曲を作りたいとお互いに再確認した感じですか?

松田: そうですね。彼女と一緒に歌うのはとても楽しかったです。女性歌手が二人で一緒に歌うのって、とても特別だなと思うんです。二人のエネルギーがうまく合った時のバイブレーションがすごく気持ちよくて、将来この二人で何かできるっていう可能性を感じました。

澁谷: 他の国で一緒に演奏してきた方々とはまた違った何かを、フランチェスカさんとの共演で感じたんですね。チリにいらしたのはその時が初めてだったわけですが、チリの第一印象はどうでしたか?

松田: 町が他の南米の国々と比べてちょっと東京に似てるというか、モダンな気がしました。コンサートの準備等があったのであまりいろいろな所を見る機会がなかったんですけど、会場の人々の反響がすごく暖かかったのがすごく印象に残っています。Ingenioっていうか、純粋、無邪気な印象。

澁谷: 私の個人的な印象だと、チリ人よりもブラジルの方が情熱的で、チリ人は若干表現が大人しいというか、日本に近い感じがするのですが?

松田: そうそう、確かにちょっとシャイなところはありますよね。でも、私がコンサートで受けた反響ってすごく「深い」感じがしたんです。
私はもともとパブロ・ネルーダが大好きで、彼もそうですがチリは芯があるなと感じました。重い歴史を背景に持った国ではあるけれど、その分感じる物も重みがあって、是非もう一度来てみたいと思っていました。

澁谷: 昨年のコンサートではビクトル・ハラさんの曲も歌われていましたが、彼の曲はこちらに来て初めて聞いたんですか?

松田: いいえ、彼の曲は昔から私の両親が聞いていたんです。当時、彼の曲は世界中に影響を与えていたので、日本でも彼の曲が日本語訳されていました。昨年は詩の一部に私が手を加えて、アカペラで歌いました。私は日本語で、フランチェスカはスペイン語で。
あと、昨年33人の鉱夫のキュメンタリーを見て、日本の銅の70%はチリから輸入していると知って、チリってすごいんだなって思いました。10 円玉を大切にしなきゃ。

澁谷: そうですね。チリは日本人にとってあまり印象の強い国ではないかもしれませんが、環境は良いし、人々も優しくて良い国ですよね。

松田: はい。あと、チリ人て独特のユーモアがあるんですよ。ベネズエラでリカルド・サンドバルっていうバンドリン奏者がいるんですけど、彼と彼のお父さんは二人ともチリ生まれで、チリの人たちと話してみて「あ、あの二人はやっぱりチリ人なんだ」ってわかるくらい。ブラックユーモアのセンスというか…。

澁谷: 先ほどパブロ・ネルーダの話が出ましたが、彼の家にはいかれましたか?

松田: 残念ながら昨年は時間がなくて行けなかったんです。今回は是非行きたいです。

澁谷: 他に行きたい所ってありますか?

松田: 今回本当はペルーまでバスで行ってみたかったんです。でも遠くて時間がかかるし、危ないって言われたので残念ながら断念しました(笑)。あと、南の方にある富士山みたいな山も見てみたいです。北の砂漠も。

澁谷: 今まで訪れてきた国々とチリってやはり違いますか?

松田: 全然違います。南米でも太平洋側の国ってチリが初めてなんですけど、海の色まで違ってすごく面白いです。昨年初めてアンデスを飛行機で超えた時は感動しました。昔あの山々を明治の日系人が越えたっていうのが信じられないです。

澁谷: 今後10年、20年かけてやって行きたいことはなんですか?

松田: そうですね、今まで行ったことのある場所も、そうでない場所も、もっともっと深く知りたいです。今回はフランチェスカとレコーディングしますけど、それぞれの国で音楽を通してたくさんの人と深く係わっていきたいなと思います。そしてそれによって自分を深めていきたいです。

澁谷: いろいろな場所で音楽を肌で感じて、吸収して、またそれをご自分の曲に反映させていかれるんですね。

松田: はい、もちろんそうして行きたいし、日本にも私の歌を届けていきたいです。

澁谷: これから行ってみたい国はどこですか?

松田: 今回はこの後初めてペルーに行きます。その他にも行きたい国は沢山ありますね。どこでもいいから行ける所は行きたいです(笑)。

澁谷: 日本にもご自身の歌を届けたいということですが、今回はここサンティアゴで東日本大震災の追悼コンサートを開かれますね。届けたいメッセージ、もしくはこんな曲を聞いてもらいたい等、何か伝えたいことはありますか?

松田: そうですね、まずは日本の美しい歌をチリの人々に聞いてもらいたいです。もちろん日本だけでなくチリや南米の音楽もですけど。それと同時に、チリも昨年大きな地震・津波を経験していますよね。そういうところから日本に向けてメッセージを送るのってとても意味のあることだと思うんです。チリの人たちの励ましを日本に送って、同じ苦難を乗り越えていきたい、と。こっちの人たちは、震災が起きてから何十人という人たちが「大丈夫?」ってメールをくれるんです。本当に心配してくれて、その優しさに感動しました。だから当日はフランチェスカと一緒にお祈りをして、こちらの人たちの祈りと励ましを日本に届けたいです。

澁谷: 追悼コンサートで演奏する曲は?

松田: まず、私が昨年チリでも歌った秋田県の「ねんにゃこころちゃこ」という子守唄です。東北の大地に向けて、フランチェスカと一緒に日本語で歌いたいと思っています。あとは、日系人の方々もいらっしゃるので、日本の昔の「ゴンドラの歌」のような叙情歌を歌う予定です。一緒に演奏してくれるアントニオ・レストルッチとチッコレア・フアン・サンチェスという素晴らしいミュージシャンがいるので、彼らの曲もやりたいです。それからもちろんフランチェスカの曲も。

澁谷: チリで地震が起きれば日本に津波が届いて、日本で地震が起きればチリに津波が起こる。太平洋をはさんで我々は繋がっているんですよね。

松田: そうですよね。すごいことですよね。同じ海の一部であるっていうことで、今回のコンサートにはとても深い意味があると思っています。だから、本当に心をこめて、皆で一緒に祈りの気持ちを送りたいです。

澁谷: 最後にファンの方にメッセージなどがあれば、お願いします。

松田: 今回フランチェスカ・アンカローラと一緒に4月7日にレコーディングをするんですけど、その録音も是非楽しみにしてくださいとフランチェスカからもメッセージをもらっています。二人で歌って、チリと日本のエネルギーを出し合っていい作品を作っていきたいと思っていますので。

澁谷: 発売はいつごろですか?

松田: まだ決まっていないんです。ウルグアイとアルゼンチンとチリでレコーディングしているので。

澁谷: それらが全て一枚のアルバムに収まるわけですか?

松田: そうです、もともとは自分の思い出作りのつもりで始めたんですけど、どんどん話が大きくなって(笑)。素晴らしいミュージシャンの方々と一緒に演奏することができました。楽しみにしていてください。

澁谷: 松田さんは、現在の活動拠点は日本なんですか?

松田: 一応そういうことになっていますけど、これからどんどん南米と日本が半々になっていくと思います。

澁谷: そうですか。チリにもまた是非いらしてください。

松田: もちろんです。私の魂の半分はこの南米大陸にあるので、日本で寝ている時はこっちで起きてますよ(笑)。

澁谷: 今日は本当にありがとうございました。

松田: こちらこそ、本当にありがとうございました。

(インタビュー後記)
    4月5日、ベジャビスタのジャズバーTheloniousにて追悼コンサートが実施されました。チリの国民的歌手フランチェスカ・アンカローラ女史、一流ミュージシャンのフアン・アントニオ・サンチェス氏及びアントニオ・レトゥッチの両者が共演するという何とも豪華な顔ぶれでした。冒頭1分間の黙祷を行った後,ねんにゃこころちゃこ(秋田の子守唄)等の日本の民謡とEl Derecho de Vivir等のヌエバ・カンシオンを代表する歌を織り交ぜ、正に日本とチリの交流を象徴するかのような素晴らしいコンサートに参加者一同酔いしれました。また、会場では募金箱が設置され、後日、松田美緒女史より在チリ日本国大使館に寄付金が手渡され、4月11日チリ赤十字社に振り込まれました。

Camara Chileno Japonesa
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